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非当事者研究への脚注

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#当事他者

非当事者研究への脚注その3

 「当事他者」は「当事者」に「呼び掛け、応答を期待する者」です。「呼び掛け、応答を期待する」ことは「きく」ことでもあります。

 「当事者」と関わるにあたって、「傾聴」すなわち「聞く・聴く」ことで、「当事者」の主体性を尊重することが大事とよく言われます。これまで聞かれてこなかった「当事者」の声を「聞く・聴く」ことはもちろん大事です。しかし「当事者」が話さないなら、聞かなくていいのでしょうか。もしか

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非当事者研究への脚注その2

 廣松渉の用法から、「当事他者」を「当事者に呼び掛け、応答を期待する者」としました。「呼び掛け」と「応答」は、一見すると、前者が能動的で、後者が受動的なため、「当事他者」が主体的で、「当事者」が客体的に思えるかもしれません。しかし「呼び掛け」と「応答」とは、そう簡単に能動と受動とに割り切れるものではありません。

 なぜ「呼び掛け」るのかを考えると、その行いの基底にあるのは「応えてくれるだろう」と

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非当事者研究への脚注その1

 まず言っておかねばならないのは、「当事他者」は私の造語ではありません。哲学者廣松渉が用いた言葉です。ここから「当事他者」の哲学的出自を確認できます。

 「当事他者」は廣松から始まりました。廣松は、新たな共同性を模索する運動が「連合赤軍事件」という無残な結末を迎えた当時の時代状況を背景にして、共同性について原理的な思考を展開した論文「共同主観性の存在論的基礎」の「第二節 役柄的主体と対他性の次元

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非当事者研究への脚注その0

 「非当事研究」では、「非当事者」から「当事他者」へと至る道をなるべく簡潔にしました。ここからは非当事者研究の過程で考えたけれども、あまりまとまっていないことを書きます。私の手に余るものばかりで、誤読のオンパレードを楽しんでもらえたらと思います。

 ふりかえると、「非当事者」から「当事他者」へと至る道には、哲学者ジャック・デリダの二つの方法があったように思います。

 まず「非当事者」という言葉

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