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不登校日和/なまけdays#6-200123

・エッセイにするには体力が足らなくって、放っておいたら霧散しそうな思考の切れ端を繋ぎとめておきたい。

・本当はスマホのメモ帳とかに残した方がいいのだろうが、如何せんマメじゃない。三日坊主も裸足で逃げ出すレベルの、忘れっぽさ。集中力の続かなさ。注意欠損の気があると自覚している。今日も、スマホが目の前の机に置いてあるのに、どこだっけ?と探しに行こうとしていた。スマホってなんで勝手に出歩くんだろうね。

・noteの毎日更新を続けられているのは、半分くらいは奇跡としかいいようがない。本当はきちんと文章を練って、言語化するという過程を大切にしたいので、勢いで書いてえいっ!というのはよくないのかなとも思うのだが。

・毎日更新を続けている理由の一つは文章修行であるが、もうひとつは『そこそこ』『ほどほど』にやるということを自分に覚えさせたいからである。幼いころから、異様にこだわりが強くて、熱中しだすとあれもこれもほっぽりだして、一つの事にのめり込む癖がある。そして、のめり込みすぎて身を亡ぼすまでがワンセットになっている。非常によろしくない。

・そういった性質は、ある種研究者気質でもあるのだが、物は言いよう。発表前に12時近くまで資料作成→帰宅して風呂ご飯→死んだように寝るを繰り返して、結局すべてを台無しにしてしまった。元も子もない。学部時代はそれでもなんとか出席ギリギリで潜り抜けたのだが、どういう形であれ将来社会参画することを考えると、己のキャパシティを把握して『そこそこ』にセーブする能力は必須に違いない。

・なぜ無理して破滅を繰り返すような性格になったのかを考えていくと、やっぱり中学一年の時のガンに行き当たる。私の人生で物事の源流を辿ろうとすると、だいたいおおかた九割九分九里はそこに辿り着いてしまう。なんだか、いつまでも過去を引きずるみたいですごく嫌なのだが、やっぱりどう考えてもそこがターニングポイントなので、もうどうしようもない。許して。

・何度か過去のエッセイでも書いた気がするが、私自身小学生の時は非常にアグレッシブルな方だった。身体は健康そのものだったし(ただし運動神経は壊滅的にない)、同級生と比べても、頭いくつか抜け出ているくらいの早熟さであった。これは単純に早熟なだけであって、私自身が天才的に賢いわけではない。どちらかというと、学習には時間がかかる方だと自負している。東大生とかメンサとか、脳みそどうなってんだろうね。不思議。

・とにかく、小学生の頃は、非常に鼻もちならないが「自分は人よりできる」と思っていた。それだけのキャパシティを持っていると思っていたし、両親も教員も周囲の大人たちも、同じことを思っていたに違いない。

・ところが、病気を期にさまざまなリズムが崩れた。なによりも、体力と精神面が上手く機能しなくなっていた。第二次成長期に抗がん剤を投与するということ、皮膚移植を伴う大型の手術を行うことで、基礎体力の形成に栄養が回らなかったようだ。非常に疲れやすい体質になった。

・それでも、私の中では「自分は人よりできる」ことが当然だと思っていた。だから、同級生がやりたがらない委員会仕事や部長、種々の取り締まり仕事なんかを一手に引き受けていた。

・そうして、なんだかすべてに疲れてしまったのだ。

・今思えば、中学三年の時の不登校は、引き受けすぎた代償という面もあったのかもしれない。いや、黒歴史すぎて全然おぼえてないけれども。記憶の蓋を固く締めすぎて、開けようとすると脳内で警報音が鳴り響くし、まじで思い出せない。修学旅行行くのが嫌すぎて、「自分なりの修学旅行に行ってきます」と書き置き残して夜中に逃走を図ったことは、我ながら最高に尖ってるなあという感じである。若いなあ。

・この、若いなあ。っての、やめたいなあ。いや、実際若いんだけれども、嫌なことを嫌だと主張するためには、その手段しかないのだと信じて疑わず、それを実践するだけの決断力があったということで、どちらかというと大人なのかもしれない。

・対外的には「若さゆえの過ちですよ~~あはは」って言って誤魔化す方がなによりも楽だし、そういう面も実際ある。だけれども、例えば人は車にはねられたら死んでしまうという事実や、今日と言う日はもう二度と暦の上で訪れることがないという事実。そういう皆が分かっていながら、見ないふりをしている世の中で、当然行くべきだという学校に「行かない」という選択肢を、外でもない自分の意思で取れるというのは、やっぱりある種大人だと思う。それは、生存戦略でもあるし、無理して学校に行けば死んでいたかもしれないっていうのは、割と嘘ではない。

・だから、世の中の学校行けない諸君は、そう三角座りでキノコ栽培をしなくてもいいよ。君たちは大人だ。人は生まれたときから人権を持っているので、行くも行かないも、自分で選択できることが、なにより生きているという事実に他ならないのではなかろうか。

・ところで三角座りって言う?体育座りっていう?

・本当に脳みそ直送文章なので、最初に書こうと思っていたことと全然違うところに着いてしまった。ほらもう、最初に書き留めようとしていた思考の切れ端が霧散してしまった。

・とにかく、そういう感じなので、私はいまだに自分のことを元気まんまんなキャパシティありありアグレッシブルマンだと思っている節があって、それゆえ身体に合わないことをしてしまうのだ。無理なものは無理、自分のペースをつかめるようになるためにも、そこそこ手抜きをしつつnote毎日更新続けていきたい。

・そのために、こうやって多少息抜き的な記事も書きますが、ゆるしてちょんまげ。

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・明日はおでん。

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・はじめての琥珀糖チャレンジ。なかなか乾かない。ジャム入れたからかなあ。

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