日銀による7年国債に対する指値オペの実施と国債先物市場に対する影響について
先週、日銀が7年国債(残存7年の国債)に対して指値オペを実施したということで国債先物が大きく話題になりました。普段はあまり足元の相場について記載しないのですが、今回は興味深い現象も多く、また国債先物がテーマとなっていることから、備忘録として記載しておきます。細かい動きなどについては、市場参加者の意見を重視したほうがいいでしょう。なお、本稿では基本的に日銀の政策の是非については出来る限り立ち入らないよう心掛けた記述します。下記に記載内容については必要に応じてアップデイトします(特に時間の関係上、データを入れられていないので、その点を今後含めます。また通常私が原稿を書く場合に比べ短時間で書き上げたことから不正確な記述が含まれる可能性がある点にご留意ください)。
1.国債先物と7年国債における裁定のイメージ
まず、国債先物とは国債の予約取引になります。国債先物を買う(売る)と7年国債(年限が7年の国債)を満期に受け取れます(受け渡します)。7年国債は現在のイールドカーブでは国債先物の受け渡しにおいて最もコストが低い状態が続いています。その意味で7年国債をチーペストといいますが、7年国債がチーペストになるロジックについては私が記載した「国債先物入門」を参照としてください。
「国債先物入門」で強調しましたが、7年国債と国債先物が連動するためには、投資家が両者で十分に裁定を行っている必要があります。そもそも裁定取引は同質の財の価格に解離が生じていた場合に、高い財を売って、安い財を買うことで利益を上げる取引です。7年国債と国債先物の裁定において、同質の財とは、「7年国債そのもの」と「7年国債の予約取引」です。例えばある商品とその予約取引があるとします。その両者は予約の受け渡し時点になれば価格が一致すると考えるのが自然でしょう。その意味で、7年国債と7年国債の予約は、非常に同質性が高いと言え、この両者の間には裁定取引がなされると考えられます。実際、通常の国債市場では、この裁定が十分なされており、この取引そのものをベーシス取引といったり、キャッシュ・アンド・キャリー取引などといいます(「国債先物入門」では先物と先渡の裁定という整理もしていますが、詳細は同論文を参照)。
この裁定の詳細を考えるため、読者が現時点(6月下旬)において、この裁定を行う事例を考えます。読者はこの裁定を行う上で、国債先物(9月限)を買うとともに、7年国債を売ります。もっとも、ここでは厳密な裁定取引を考えるため、読者は7年国債を持っていないとします。この場合、国債先物の受け渡しは9月中頃になる一方で、7年国債は市場では取引日の翌営業日に決済されるため、9月中頃まで7年国債を借りてくる必要があります(国債を借り入れる市場をレポ市場といいます。レポとは担保付貸借ですが、詳細は「国債先物入門」や「SOFR入門」を参照)。9月半ばに先物を通じて7年国債を受け取るため、受け取った7年国債を(前述のとおり読者は7年国債の借入れをしているため)返却します。繰り返すようですが、これは(レポを通じて借りてきた)7年債を売るとともに、国債先物を通じて7年債を買うという裁定取引をしています。この取引の結果、利益が生まれるのであれば裁定機会が生まれることになりますし、もし裁定が十分に効いていれば利益は小さくなるはずです(ちなみに、完全に裁定が働いていてもここに解離は生まれるのですが、この詳細を知りたい人は筆者が記載した「日本国債先物入門―先渡と先物価格の乖離を生む要因―」を参照してください)。
もっとも、実際の取引に当たっては一定のリスクがあります。先ほど記載したとおり、国債先物をロングするとともに、7年国債を借りてくるのですが、ここで重要な点はレポ市場で国債を借り入れる場合、オーバーナイトなど比較的短期間でなされる傾向があるということです。先ほどの例では7年国債を借りてくるとしましたが、実際には9月中頃まで借りてくるという契約がなされるのではなくて、オーバーナイトなど短期間での借入れを繰り返すことになります。例えば、オーバーナイトの場合、今日借りて、明日返さなければならないので、明日また借り換えて、ということを繰り返していくことになります。もちろん、その借入れコスト(これをレポコストといいます)は日々変動しますから、この裁定取引にあっては、レポコストの変動リスクをとる必要がうまれます。この点については後ほどまた議論します。
2.日銀による7年国債の無限購入のオファー(いわゆる指値オペ)
さて、先週、日銀は7年国債を日銀が無限に購入するオペをオファーしましたが、ここからその点を考えていきます。日銀が7年国債をなぜ無限購入するオペをオファーしたかについてはここでは深入りしませんが、一説によれば逆イールドを解消するため、7年国債を買ったというものです。もっとも、結果的に国債先物は暴落し、国債市場において重要な先物市場の流動性が低下するという皮肉な結果が生じました。
日銀が7年国債を買ったのに国債先物の価格が低下したということを不思議に思う読者もいるかもしれません。7年国債と国債先物の間に高い連動性が生まれるのは、両者の間における活発な裁定行動を前提としています。しかしながら、日銀が指値オペにより市場実勢より高い価格で7年国債を購入することで、国債先物と現物市場の裁定活動が壊れました。そもそも需給関係が崩れることで金融市場において裁定が働くなくなるという現象(需給が崩れることで、一物一価が成立しない現象)自体は、実は、金融市場でしばしば観察されます。ここでは本論からそれるためあまり詳細についてはたちいりませんが、そもそも行動ファイナンスは裁定の限界(limit to arbitrage)に焦点を当てた分野ですし、金融危機以降、特に裁定の限界の重要性が指摘されています。学術研究について興味がある人は筆者が記載した「イールドカーブ(金利の期間構造)の決定要因について」や「カバー付き金利平価」に関する論考などを参照してください(筆者のウェブサイトにアップロードしています)。
国債先物と現物国債の裁定が壊れることにより先物価格が低下した理由として様々な要因が考えられます。そもそも、国債先物が割安で、7年国債が割高というという認識で、国債を売って先物を買うという参加者が一定程度いました。先週実施した指値オペにより、7年国債の価格がさらに高くなり、国債先物が(相対的に)安くなることで、国債先物と7年国債の価格の乖離がさらに大きくなります。その結果、その裁定取引を行っていた人々が大損を被り、その取引を投げうるということが起こりました(典型的には投資家はロスカットというのが設けられておりテクニカルに売却するということもおこりえます)。これはあくまで一例であり、おそらく何か一つが理由ということはないでしょうが、筆者は、日銀が実施した指値オペを契機に、国債先物と7年国債の裁定関係が壊れたというところに本質があると思っています。
ちなみに、これまで原則、日銀は7年国債を買わないオペレーションをおこなってきました。それは7年国債が先物の受け渡しに使われるからであり、国債先物と現物の裁定行動に配慮した措置だと理解しています。なお、国債先物における受渡銘柄は7年から11年といった形でレンジが設けられており、先物の売り手はこの中から自由に選んで受け渡すことができます。これは仮に誰かが7年債を買い占めたとしても、たとえば7.5年債を受け渡すことができることを企図しています。その意味では、日銀が仮に7年国債をすべて保有したとしても、理屈上はその他の年限を受け渡すということはできます。
3.国債先物市場の重要性
「国債先物入門」でも強調しましたが、国債先物は通常時は流動性が非常に高く、投資家の意見が反映されるという意味でそのプライシングは国債市場で重要な意味を持ちます。読者の中には少し言い過ぎに感じるかもしれませんが、国債先物における価格形成は国債市場において最も重要な機能の一つといっても過言ではありません。国債先物が有する情報は7年国債との裁定を通じて、国債市場全体の価格形成に影響を与えます。現物と先物の裁定の度合いを把握することは、先物が有する情報がどの程度現物の価格に反映されているかどうかを確認する上で重要なプロセスといえます(相対市場ではともすると誤った価格形成がなされかねない点については「金利指標改革入門」で記載しました)。
また、日本では国債先物が基本的に1つしか取引されておらず、市場参加者に対するヘッジツールを提供するという意味でも活発な先物市場の存在は重要といえます。「国債先物入門」で記載したとおり、OTC市場におけるマーケット・メイクはもちろん、例えば国債の入札などでも国債先物は重要なヘッジツールとして機能しています。読者としてもヘッジツールが存在しなければ国債の入札に積極的に参加しにくいことは想像できるとおもいます。近年国債の発行額は増加傾向にありますが、安定的な国債の消化という観点でも先物市場の流動性は非常に重要といえます。
4.補完供給オペによる裁定取引の安定化
このように国債市場において重要である国債先物と現物国債の裁定関係が壊れてしまったわけですが、これに対して日銀が実施した措置が補完供給オペです。詳細は下記の通りですが、「チーペスト銘柄等にかかる国債補完供給の要件緩和措置について」があります。
https://www.boj.or.jp/announcements/release_2022/rel220617c.pdf
補完供給オペについても私が記載した「国債先物入門」にBOXでも記載していますが、基本的には、日銀が持っている国債を金融機関に貸し出してあげるというオペレーションです(具体的には25bps日銀に支払うと国債を日銀から借り入れるということができます)。今回日銀が実施した政策は、国債先物との裁定に使える7年国債について、以前より長い期間、日銀から貸出をしてあげる、という緩和措置になります。上記のリンクをみてもらうと、従来、日銀から50営業日間しか借りれられなかったところ、70営業日へと延長がなされています。20営業日を約1か月とすれば、日銀がチーペストを貸し出す期間がそれまで2か月半程度だったところ、3か月超へと拡大したという措置になります。
この補完供給オペの要件緩和措置の意味合いを解釈するにあたり、日銀からのレポで借り入れられる期間が、先物の受渡日までカバーされるようになったという点がポイントです。国債先物は7年国債に対して大幅に価格が低下しましたが、これを支える措置として国債先物と7年国債の裁定取引を活発化させるということがあります。活発化の一つの前提として、レポ取引を安定的に行うことができることがポイントです。前述のとおり、国債先物と現物の裁定においてはレポ取引において一定のリスクがあります。現在活発に取引されている9月限の先物(これを中心限月といいます)の受渡日は9月中頃であり、そこまでロールが必要であるところ、この補完供給オペの要件緩和により、中心限月の先物の満期である9月中頃まで日銀から7年国債を安定的に借り入れることが可能になりました。これを裁定取引という観点でいえば、レポに係る不確実性の解消とみることができましょう。もちろん、短期的には国債先物と7年国債の乖離、いわゆるベーシスが拡大することはありえますが、この裁定取引は満期まで持てば同じ商品であるため(あくまで現物と予約商品の裁定であることを思い出してください)、最終的には乖離は解消されます。この要件緩和措置により裁定取引が復活すれば、どこかのタイミングで国債先物と7年国債の価格はそのコストを加味した範囲内に収まることが予測されます。
上記をまとめると、日銀の補完供給オペは、日銀が国債先物と7年国債の裁定取引をしやすくすることにより、国債先物と7年国債の連動性を高めることを企図したとも解釈できます。前述のとおり、日銀の7年国債の指値オペによって国債先物と7年国債の連動性が失われたのであれば、それを回復させるような措置を採ったと解釈することができるでしょう。実際にこの措置により連動性が回復するかは今週の相場をみるまでわかりませんが、大切な点は日銀のオペレーションは単に短期金利を上げる・下げるといったものではなくて、こういう細かな制度改正に立脚している点が少なくない点です。筆者自身は、日銀の金融政策や国債の細かな制度を知っている点を相対的に強みとしてる経済学者と感じているため(とはいえ多くの市場参加者には足元にも及ばないのですが)、こういう材料を積極的に論文として取り上げていきたいと感じています。
必要に応じて来週の相場もアップデイトしようと思います。