発達障害の、おとぎ話

ある島に、自分たちが生み出したありのままの思考や感情を尊重しながら、ごく自然な生活を送っていた人々がいました。

しかし、ある時、背広を着た人がやってきました。「今の考えでは金もうけができない」「あなたたちは違いを放置していて野蛮だ。おかしい」「今の生活は客観的にみて幸せではない」などと吹き込み、私たちの生活を変えてしまいました。

そうして、背広を着た人の言うがままになった人々がどんな生活を送っているか? その背広を着た人の工場や事務所で一日中働き続けています。そうすることが幸せで、それ以外のことを考えるのは病的だと刷り込まれる。そして、言うがままにならなかった人々は「発達障害」とよばれるようになりました。

昔の島では、小さなトラブルは起きていたでしょうが、みんなが違っていて「それでよい」ことをみんな知っていたので、誰もが生きていくことができました。しかし今の島は、誰もが息苦しく、そしてお互いの差異を少しでもあげつらうことでのみ出世する、そんな世の中になりました。そして、日々、一番底辺の人を切り離し続けています。いつか、「切り離された」人だらけになるのも気づかずに。


これは一つの例え話、おとぎ話です。しかし、現実にも起きています。これが例えばアメリカの先住民や黒人に対する支配や、欧米諸国や日本による植民地支配など、歴史的な文化への差別や破壊の話であれば、関心を持ち、憤る人々は大勢いるでしょう。
しかしこれが発達障害の話になると、なぜか美談にすらなっています。

私が発達障害者抵抗の仮マニフェストで、各国の障害者団体や先住民社会との連帯に触れたのは、世界のいろいろな文化が、一方的に否定され、さらには「インディアン寄宿舎」の様にさも配慮しているかのように破壊されてきた歴史が、発達障害に対するそれと変わらないからです。

発達障害者、アスペルガー、学習障害の皆さん。ただ、今の自分を優先して、周囲を気にせずに生きてください。それ自体が、抵抗になります。それ自体が、この病んだ社会を救います。「空気を読んで人を差別する」本末転倒なこの自称健常者社会を破壊するために。

ここから先は

0字

¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?