苦手なものはあっていい

ご無沙汰しています。以前に比べるとだいぶ強迫性障害も良くなってきたと思われるとつももです。精神科での曝露療法も終了し、クリニック通いを卒業する?とまで聞かれたので、もう特に治すことはないということなんでしょうか。まだまだ苦手なものはあるように思うのですが。

今日はこの「苦手なもの」についてです。

強迫性障害の人でもコロナは全然気にならない人もいれば、コロナ限定で怖い人もいるし、コロナもそれ以外も全て苦手という人もいます。

強迫性障害を寛解に向かわせるときに、苦手なものも許容していかないといけないわけですが、私は「どうしても無理なもの」はあっても別に良いと感じています。

例えば、どうしても排泄物は苦手だとか、地べたが苦手だとか。これは強迫性障害ではなくても苦手な人はたくさんいます。

先日、某大企業で単発のお仕事をしました。わりと誰でもできる簡単なデータ入力のお仕事です。そのお仕事の際、バッグを置く場所がありませんでした。普通の企業ならロッカーのようなものがあったり、窓際に置かせてもらえたりといったことがあるので今回それがなかったことが意外でした。正直、戸惑いました。でもどこにもバッグを置く場所はなかったので床に置くしかありませんでした。私以外は経験者で、バッグの置き場所がないことを知っていてバッグフックを持ってきている人がいました。しかしそれは一人だけで、あとの二人は床に置いていました。仕事が終わり車に戻ってすぐ、私はバッグを除菌シートで拭きました。床に置いて倒れたりして自分の靴で踏んづけてしまったりしたからです。結局、帰り道に百円均一に寄り安いバッグとバッグフックを購入しました。ああ、強迫のためにお金を使ってしまった。たったの300円ですが。ちょっと悔しかったです。

派遣二日目に、バッグフックを持ってきていた人と二人きりで話す機会がありました。私も買いました〜バッグフック、と。その方は「私、結構ズボラで気にしない方なんだけれど、それでもやっぱり今の時期なんか気になりますよね〜きっと床にはコロナウイルスなんていないんだろうけどね」とおっしゃってました。そう、このコロナ禍では地べたが苦手な人もたくさん産まれたのだと思います。そうだとすると、地べたが苦手なことなんて強迫性障害のうちに入らないのでは?と。本垢で私が強迫性障害であることを知っている人が数人いますが、そのうちの一人が「実は私はトイレ掃除がほんっとうに無理で、一週間に一回掃除するのが精一杯」と言っていました。強迫性障害じゃない人でもトイレ系は苦手な人がいっぱいいます。だったら、排泄物系が苦手だったり、地べたが苦手なことなんて、無理やり克服する必要もないのでは、と思います。

「いろいろ良くなってきた気がするけど、未だに公衆トイレは苦手」それでいいと思います。私はイオ○等のキレイなトイレなら全然気にならないですが公園にある公衆トイレは昔からあまり得意ではないです。こういったこだわりも、多少あってもいいんじゃないでしょうか。

なんでもそうですが、完璧を求めると苦しくなるだけなので、ほどほどにが良い気がしている今日このごろです。(お前が言うな)



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