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10月と不登校、行きしぶりについて考える

小学校は10月・11月に運動会が行われるようになっている

今年の夏は本当に「酷暑」だった。
例年、小学校の運動会は9月の末に行われていたが、今年は近所の学校は10月、11月に行われるようになるらしい。

この、学校の行事の1ヶ月後ろ倒しが、子供達のメンタルに大きく影響しているのをご存知だろうか?

私は日頃、ピアノ教室で街の子供達と接している。
平日1日は、自己研鑽も兼ねて、地域の放課後等デイサービスで児童指導員をしている。

子供達の変化は、一人や二人ではない。ちょっと、気をつけないといけない状況である。

不登校予備軍を作っていないか?

「運動会」って、子供達はみんなが楽しみにしているか、といえば、そうではない。

以前、学校の先生がSNSでアンケートをとっていて、先生の働き方改革に何をしたら良いか、と言うもので、私も無責任な回答をした。

「運動会をなくせばいい。運動会に取られる時間、小道具等の制作、他の単元をG削ること、全て、なくせば先生たち楽になるのでは?」

こう書いた。

そうしたら、鬼のくびをとったかのように、現職の先生が、
「子供たちから行事を奪うわけにはいきません。特に運動会は、子供達が、みんな、楽しみにしています!」

と言うご丁寧なお返事が来た。

いや〜、全員にアンケート取りましたか?
なんなら、保護者にもアンケートとってみたら?
もっといえば、教員にも無記名でアンケートとってみたら〜?

なんて思いました。

子供達の声なんて、多数派しか考えられてない。

実際、コロナから運動会のあり方が変わった学校もある

コロナ禍では、「運動会」ではなく、「体育参観」と言う形で、学年入れ替え制で密を避けた競技と参観の仕方に工夫された学校が多い。

競技が少ないので、1がくねん1時間ほどの、親としてもありがたい参観時間。

だって、暑い中でしょ?
密も心配でしょ?

そんな中、今年令和5年の5月8日から、コロナが第5類の考えになり、子供達のほとんどはマスクを外した学校生活を送っている。

「運動会はどうなるのか?」

コロナの時は良かった。あまり練習もしなかったし、すぐ終わったし。
毎日行進の練習、軍隊でもあるまいし、しんどい。

「じっとして、先生の話を聞きましょう。」

じっとできないタイプのお子さんには苦でしかない。

そして、保育園でも、幼稚園でも、運動会の練習が増えたことで、
普段「自由保育」と言われる時間にも、運動会の練習がブッ込まれている。

「なんで好きな遊びをしちゃだめなの〜?」

と、教室に来て、保育園、幼稚園の不満を私にぶつけてくる子供も今年は多い気がする。

「最近落ち着きがありません」と学校から言われる子供の数が10月前後、半端ない!

これはうちの教室の話だ。
今日も、あるお母さんが、
「学校から、最近落ち着きがない、って報告を受けました・・・・」
と、しょんぼりして私に伝えてくれた。

教室に来た時、この子は
「あれぎみ」だな、って言うのはみてわかる状態だった。

でも、1時間のピアノ療育が終わる頃には、よく笑い、「ありがとうございましたぁ〜」と、ハイタッチをして帰っていく。

私は、「学校でもそんなに笑うの?」
ときいた。

「いや〜、学校ではそうでもないかなぁ〜」

って言ったので、
母親目線としては、お母さんが「やっぱり学校は楽しんで行けてないのか?」と心配したら行けないので、

「そうよね!学校で今日みたいに笑うと、コラー、って言われちゃうもんね!OKOK!」

って、お母さんが敏感にならないように気を配った。


運動会で支援級の先生が大失敗。生徒の不登校を作った話。


普段、ダンスの練習はあまり好きじゃない男の子がいた。
一通りダンスは踊れるようになったが、

「運動会には見学をする」と言う選択をした。

のに。

「大丈夫、踊れるから、ガンバろ〜!!」
と、支援級の指導員が、見学の彼を引っ張り出した。


その瞬間、彼の小学校生活は終わった。

母子家庭の親一人、子一人の家庭の子だった。
お母さんはナースで、子供のことを一番に考えながら、子供といる時間を大切に作り、気に入った放課後等デイサービスに行っている時間のみ、看護師として働いていた。

その事件があったときは、まだ小2だった。

その子は虫博士で、支援の必要なお子さんに声をかけてキャンプをした時、子供達に虫の蘊蓄を伝えた。虫嫌いの子供にも、虫と関わることができるようにんるチャンスまで作ってくれるような素敵な子だった。

でも、お母さんは、「転校」と言うことも「ナンセンス」と捉え、自宅で過ごす生活を貫いた。
お母さんの言い分からすれば、

「悪いのは学校なのに、なぜうちが負担を背負って他の学校に行く必要があるのか?」

全く、その通りである。

一生の傷を負わせた学校は、その子の生きていくための責任を、形として残すべきである。

結局、学校ってそう言うところである。

ほんの何年か、在籍中には気にかけてもらえるけど、関わりがなくなったらそれまで。

そんな子達を、これ以上増やしては行けない。

不登校5年半、我が子の振り返りもしていきたい。

行き渋り、だけが不登校の原因ではない。
また改めて、私の経験した我が子の不登校について話してみようと思う。

不登校、行き渋り、親としては困る要素しかないが、子供達の将来を見据えて
腰を据えて取り組んでほしい。

そして、その支援も、子供たちのいまのHPに必要なことを無理をさせないで
やっていく必要がある。

学校に行かなくて困っている、そんなおうちの方、
「行かない選択」ができる状況なら、
少しの間、子供さんをゆっくりさせてあげてほしい。

大人以上に敏感で、言語化に困っているのだから。




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