「妖怪のいる街」を見て分析したこと(アニメ感想文)
アニメ妖怪ウォッチの最終回、
「妖怪のいる街」を見て分析したことを
アウトプットします。
世間的な模範解答のような感想文を読みたい人は
ブラウザバックした方が良いです。
それくらい認知が歪んだ感想文です。
OPが皮肉みたいで面白い
この話は本来笑えるような話ではありません。
ネタバレすると、ジバニャンが病気になって
命の危機に陥るためです。
しかし「バババン バンバン バンバラヤー」
という妖怪ウォッチバスターズ2悲報伝説バグバラヤー
クソード/バグナムのOPが流れて吹き出しました。
アニメが終了する様子がバグバラヤーのような
負の理由に起因するものだと考えたからです。
バグバラヤーは短期的な利益を追求し、
過去のやり方に固執して粗末な外注に頼ったゲームを
世の中に出した結果、
「バスターズ」の権威を用いてそこそこ売れましたが、
後にクソゲーだと瞬く間に悪評が広まりました。
アニメ妖怪ウォッチも妖怪ウォッチというコンテンツが
衰退するというマイナスな展開で散っていく様が
ジバニャンが病に冒されるという意味で
可視化されたように見えます。
全然関係ない話ですが、創作物は短期的な外的評価に
魅せられると長期的に腐り、内的な自分軸に従った場合は
短期的には利益が上がらなくとも、後に評価されることが
あるでしょう。
良くも悪くも吹っ切れている作品が好まれます。
(クソゲーハンターがいるように、ゴミに価値を
見出す人々だっている)
だから、孤独を感じても新規追求性のある
活動を続けるべきです。
レベルファイブはよく批判されますが、
過去のやり方に拘るような場面が少なく、
批判にさらされても新規IPを当てに行く
姿勢が素晴らしいと思います。
当たらなかったら批判されるわけですが、
コンフォートゾーンから出てるだけ魅力的です。
記憶から消える恐ろしさ
ジバニャンが掛かった病気、
「妖怪グデングデン熱」は367度の熱が出る以外に
ジバニャンの存在が他人から忘れられていくという
特性があります。
ここから、他人から忘れられることへの人間の
根源的な恐怖心について考えたくなりました。
まず、忘れられる恐怖の1つに社会的な孤立が
あると思います。
人間は社会的生物なので一人で生きていくことは
出来ません。
何百回と「人は一人じゃ生きていけない」という
話を皆さんも聞いたことがあるでしょう。
実際、孤独な状態はタバコを1日15本吸うのと
同じくらい健康に悪いとされています。
他人の記憶から抹消されることで交流が無くなり、
孤立すること、すなわち社会的な死を恐れるのでは
ないでしょうか。
2つ目は他人から忘れられる過程を自分で目にしながら
忘れられていくためです。
アニメではジバニャンと接した時間の長いキャラほど
記憶から消える速度がゆっくりになっていました。
知り合い程度の人間の記憶から無くなっていくのは
精神的ダメージが比較的小さいかもしれませんが、
家族のような存在であるウィスパー、ケータから
忘れられる瞬間を目にしながら死んでいくと考えると
どうでしょうか。
これ以上ない絶望感や喪失感を感じるでしょう。
現実世界でも自分が他人に見向きもされないことを
感じ取ると自尊心が低下するので、
現代人は自分を盛ってとにかく自己主張しまくり
「自分は生きてるよ!存在に気づいて!」と
忘れられないためにアピールするのです。
かくいう僕も現実世界で友達0会話0の生活を
送っていて社会的に生きる環境がないので、
noteで厚かましく自分の記事を
発信し続けています。
とりあえず、いつ死んでも良いように生きた証としての
言葉を出来るだけ残しておきたいです。
「誰が言うか」の社会だから認められる回数は少ないかと
思いますが、自分なりに内面を深めていきます。
感動的なストーリーには共感できなかった。
僕は嘘を付いても、ジバニャンとケータの感動的な
最終回のストーリーに共感することが出来ませんでした。
感受性豊かな人ならこの話を見て多少なりとも
心が揺れ動かされるのでしょう。
しかし、僕は「こんな綺麗事のような話からは
全然教育的な刺激が得られないな」と共感能力0の
非人間的な感情を持っていました。
そんな自分が嫌いです。
それが気付きでした。
何をしても裏を取ってしまいます。
ASDだから仕方無いと思う部分もありますが、
共感能力があった世界線でこの最終回を見たときの
他人の視点が気になりました。
誰か見た人がいれば健常者視点の人間的な感想を
教えて欲しいです。
総括
今回はアニメ妖怪ウォッチの最終回
「妖怪のいる街」を見て感想文を書きました。
多くの妖怪がジバニャンに対して「誰?」と
言っている間に配信者おおえのたかゆきの
「だ、ダレ…😅」を頭の中で思い出して
悲しむどころか笑う自分がいて、
嫌だと思いながらもそれが本来の自分であると
受け入れるしか道は無いと確信しました。
これからも自分の弱さと戦って日々
自己受容していきたいです。
ここまで記事を読んでくれて
ありがとうございました!