"何者かになること"の果て・・・栗城史多さんの『デス・ゾーン』
『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社, 2020/11)を読んだ。後半から一気に熱量が上がってゆく。最後は圧倒されながら読み終えた。
著者は栗城さんを初期から追い続けていたTVディレクター河野啓さん。関係が切れ、没後には所属事務所からの取材拒否にもあいながら、また自身の報道活動を深く自省しながら(別件での鬱症状も経験されている)、60歳目前のサラリーマンが人生を賭けて書いている。
栗城史多さんが目指していた頂上とは、エベレスト自体よりも、その先の「自己実現」の頂上。この本の帯に書かれている通り:
だから、「栗城さんの登山家としての能力」への批判は根強くあったけど、的外れだと僕は思い、真に論ずべきは「自己実現のありかた」にあると思う。
現代ネット社会では、多くの平凡な人たちが、"何者か" になりたいという願望、もしくは圧を日々感じている。栗城さんはそんな "何者かになれた人" だった。同時に、 "何者かになってしまった人" でもあった。"しまった" とは、その準備のできていない状態で、なってはいけない舞台で、ということ。
しかし人は、何者かになる、という他者評価だけでは、本当に満たされるとは限らない。自己評価とのバランスが必要ではないのだろうか。内なる夢を達成できた、達成できなかったができることをやりきった、その夢を別のなにかに転換し昇華できた、というように。
高すぎる他者評価に対して、栗城さんはふさわしい自分であろうと、自己評価できる自分を求めて、デス・ゾーンへと踏み入ったようにも思われる。亡くなってしまった以上、その答えは僕らの内に見出していくほかない。
心の中の"デス・ゾーン"
著名知識人の評も、みな栗城さんの心理と、とりまく社会的な要素に注目している。
2018年5月の彼の死も、登山技術の不足というよりは、彼の "心の中のデス・ゾーン" に招かれた結果ではないか?というのが本書の結論。それが正しいかどうかはではない(故人しか知らないのだから)。僕たち一人ひとりが考えるべきテーマとして投げかけられている。
「誰にでも起きうる物語」と起業家の谷本肇さんがFacebookに書かれている。その1、その2、その3、谷本さん自身も栗城さんと面識あり、マッキンレー(デナリ)などハードな登山経験があって、体験からの心のこもった文章:
これが「勇気」の本質。
同様に、栗城さんと面識ある企業経営者でタフなランナーである慎泰俊さんも、彼の「語る理想と現実のギャップ」についてnoteで追悼されている ↓
栗城さんとは、漫画『ONE PIECE』の主人公ルフィを現実化させたような人だろうか。底抜けの楽観主義者、後先を考えない行動をする。ある面ではリスク感応度が異常に低く、合理的判断能力に欠けている。それがゆえに大胆な「冒険」を掲げることができ、人もついてくる。登山はむちゃくちゃだが、「ベンチャー企業の創業者」的なセンスには溢れている。
それ自体は個性であり、場の設定を間違えていなければ達成できた可能性もあったのだろう、「エベレスト単独無酸素以外の目標」であったのなら。
しかも彼が最後に挑んだのは、彼の身体&技術的にありえない南西壁(写真のこの箇所であってる?)の無酸素単独。頭頂断念した後も、夜間にライトなしで斜度40°の氷上を下るという死のリスクをとってしまう。
< Photo by Martin Jernberg on Unsplash >
いわば、「下山」ができなかった。
おうちに帰るまでが登山なのだが。
下山の哲学
下山がどれだけ難しいかというと、数字でいえば、K2(8,611m)は2018年までの登頂者367名中86名が下山中に死亡。具体的な下山のリアルは、現役として日本最高の登山家、ヒマラヤ8000m峰14座完全登頂を達成した竹内洋岳さん『下山の哲学──登るために下る』(2020/10, 太郎次郎社エディタス)でよおおーーくわかる。日本トップの実績ある人が、何度も、死の寸前まで追い込まれている。
トップ登山家とは、こうしたリスクをぎりぎりでコントロールする能力によって「まだ死んではいない」人たちだ。運もある。運レベルで嗅ぎ分けているかのような警戒センサーの感度が高い。いわばブレーキ性能で勝負している。
この点は「天国に一番近いクライマー」山野井泰史さんも同じ。こちら2014年著書、その名も『アルピニズムと死』 ↓
登り続けてこられた理由とは、死なずに還ってこれた理由、でもある。
竹内洋岳&山野井泰史さんとも共通するのは、超絶ヤバい死の状況を、びっくりするくらい淡々と書かれる。。。洋岳さんツイッターは楽しいのだが笑
自分の偉業を劇的なドラマとはせずに、冷静な分析対象とする。
栗城さんは、ドラマとしての演出が上手かったんだよなあ。
そして、竹内洋岳&山野井泰史さんは、今も生きている。
栗城さんは、下山できなかった。
究極のゴール
『デス・ゾーン』著者の河野啓さんは、10年以上前に栗城さんが注目され始めた頃から深く取材していたTVディレクター。そのころの栗城さんは無邪気にキラキラしている。2010年11月の公式ダイジェスト動画:
指を失った後、2015年撮影の動画では、少し暗さを感じ:
最後、2018年5月18日Fb掲載動画ではエネルギーを失っている印象:
これら過程は『デス・ゾーン』で詳しく説明されている通りだ。
おカネ的には、1遠征で5000万円、最盛期には1本2億円のミネラルウォーター企業のスポンサー、アムウェイ関連でよく呼ばれていたという講演は1本50万〜100万円、銀座の2階ぶちぬきメゾネット式のオフィス兼住居は家賃推定36万円。大きなお金が動くようになり、戦線縮小が難しくなった面もありかもしれない。
晩年、彼が理想としていたと思われるのが、夢枕獏1997年の小説『神々の山嶺』(かみがみのいただき)、平成10年度柴田錬三郎賞受賞、コミックス版が2006年に、2016年に 岡田准一・阿部寛で映画化された。
この主人公が目指したのがエベレスト南西壁、映画のラストがベートベン第9。デジタル音楽好きな栗城さんが映画以降、第9を好んで聴いていたという。
こうして栗城さんは、「究極のゴール」を南西壁とイメージし続けて、2018年5月、現地で突如の計画変更により、「最後の挑戦」の場を南西壁としたのでは、と同書では見立てている。
それ以外に、どのような「究極のゴール」がありえたのか?と思う。
事務所「株式会社たお」(設立2007年)の登記簿には登山活動を含めて19もの事業目的が羅列されていて、登山後のセカンドキャリアも以前から意識していたことが想像される。
指を失ってから、その方向に舵を切ってくれればよかった。
しかし彼には、できなかった。掲げた夢を、最も難易度の高いルートによって、実現しなければならない、と純粋に信じ切っていた。死のリスクと引き換えに。
ありえたキャリア
このnoteトップの写真は2013.10.25のFacebbook投稿(ハワイ世界選手権からの帰国が10/18, その1週後だ)、法政大学田中研之輔教授の講義ゲストに参加した栗城史多さん。
タナケン教授は今キャリア論で注目される。そのプロティアン(=変化できる)キャリアの視点で栗城さんを考察してみよう。
彼の「冒険の共有」というコンセプトは、
とを大量にもたらし、彼は「何者かになった」。
そんな人生のボーナス・ステージ期に行うべきは、次のステージへの準備。
C.の道は、理屈的には可能だけど、現実難しい。スキルがいくらあっても高所登山では死ぬから。だから栗城さんが(やっていなかった)正しい努力をしてからチャレンジしたとして、やっぱりどこかで遭難死していた可能性はかなり高いとも思う。
冒険家とは、自分の限界を攻め続けて、いつか踏み外してしまうものだ。
D.は、登山系では野口健氏などが実現している。七大陸最高峰登頂で名を売ったが、これは資金獲得などのマネジメント能力の勝利であって、登山家として優れているのではないが、メディアにはウケる。つまり、注目度(=社会関係資本)だけインフレしたボーナス・ステージ状態だ。彼は社会活動家としての新たな目標設定をして、実際、スムーズに移行してみせた。たぶん、自分自身の限界をよくわかっていた。客観視できていた。
同じ成果を19歳で達成した当時早稲田(現コロンビア大)の女子学生、南谷真鈴(みなみや・まりん)さんもそうで、自身を優れた冒険家としてキャラ設定をしているわけではない。将来的にも、ビジネスパーソンと冒険とを持続可能なデュアルキャリアとして捉えているように見える。
山野井泰史さんもこれに近い。転換というよりは、単に大目標を降ろしたような形だが。山野井さんも本当はもっとヤバい壁を登りたかっただろうけど(エベレスト南西壁とか?)ただ彼は既に世界的達成者であり、また指を失った理由も、奥さんの妙子さんの生命と引き換えだ。降りることに未練はないだろう。寡黙な山野井さんにかわってトップ文筆家が表現した、まさに「ノンフィクションの極北」が沢木耕太郎の傑作『凍』
もしも栗城さんに転機があったとすれば、指を失った、この2013年の写真の頃だっただろう。
栗城さんは突き進んだ。
この純粋さも含めて、すべてが栗城さんだったということだろう。
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『デス・ゾーン』は60歳目前のサラリーマン河野啓さんにとっても、人生を賭けて書いたことがわかる:
Amazonレビューコメントより:
そう、みんなの心を刺激するものを彼は持っていた。劇場は終わったが、その生き様を遺していった。