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令和葉留場日誌

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令和元年5月2日からの葉留場日誌
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記事一覧

「フレッシュ」を探して

大型連休の前後から東京の気温はぐんぐんと上がり、なんだかまた夏という季節がやってくることを感じさせる。 つい1年くらい前まで私たちの足はたびたび止まることを余儀なくされ、そのために私たちの中にある水は淀みきっていた。そんなことすらすっかり忘れて、私たちは今青空の下を闊歩している。 あの時のことを振り返ってみると、改めて菊地成孔のこの問いが身に染みてくる。 どんな幸いの時でも、困難の時でも、どんな状況をも越えてゆくための救いや福音をもたらし、人間を前に進ませアップデートさせて

あやふやな言葉の汀

2023年の4月くらいにTwitterが外部APIの提供を止めてしまった。なんならXという名前に変わってしまった。 それから1ヶ月位して、noteでAI機能が使えるようになりました!ということで書いた文章があった。 Twitterがサジェストしてくるユーザーや投稿のうち本当に役立つというのは市原えつこさんが藝大で学んでいるご様子くらいであったが(キャリアのある人がアカデミアでそれを生かして学びに刺激を与えたり、さらに専門性を伸ばしていく様子はいい事だと思うし見ていて楽しい)

「共在」するというディスタンス 〜蓮沼執太フィル「ミュージック・トゥデイ」と「symphil|シンフィル」から

東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」で開かれた、蓮沼執太フィル「ミュージック・トゥデイ」に行ってきました。 先立ってリリースされたアルバム「symphil|シンフィル」。蓮沼氏は環境音楽家・電子音楽家として電子音や環境音を重ねたサウンドでソロ作品を構成してきたのに対して、フィルの作品ではそれらと対となり多人数による生の音の重なりを主体としたサウンドで構成されてきました。ですがこのアルバムでは生の音の中にソロ作品で響いてきたそれらの音も取り入れられており変化

祈る「場」の多様性と抱擁性

最近は宗教のことがニュースでも話題になりますが、この話題といえば個人的には、先日仕事の帰りに寄った築地本願寺と、たまたま最近見つけた四国二十二番札所平等寺のライブ配信が結構興味深いです。 じっくりと入ったことない築地本願寺でしたが、本堂に入ると広い空間に椅子が並び、祈る人もいれば休む人もおり、他にも参拝記念のカードを持ち帰ったり、敷地内のカフェでコーヒーを飲んだりと、祈りの場は憩いの場、ある意味での救いの場でもあると言う今までに感じたことのない印象を受けました。

2021年の音楽というかなんというか夜話<その2>

さて、2021年の暮れに書き始めて、2022年の正月の間、さらに一か月半、寝かせてしまった2021年の音楽の話、続きに入ろうと思う。 1月から5月の中旬くらいまでで前回は力尽きていたと思うが、まだ読んでいない方はそちらから辿っていただけると良いだろう。 5月も終わる頃、「緊急事態宣言」の終りが見えてきたところで、なんだか少しずつ何かが前に進みそうな気がしていた。今から思うとまやかしだったかもしれないが。 静かな喧騒の中で何が真っ当で何がそうでないかわからなくなる中、東京事変

2021年の音楽というかなんというか夜話<その1>

2020年から暗雲のようなものを持ち込みながら迎えた2021年。 今までレジャーだった部分がごそっとなくなり、だいたい仕事、散歩する、配信見る、寝るを繰り返す日々は年が明けても変わらなかった。それでも何かに抵抗するように、1月4日に仕事の折に突然初詣をしたりなにもないけどどこかまでクルマで行っては帰ってきたりしていた。 あ、世田谷文学館のムットーニのコレクション展も雨の中走っていった(のんびりおやつ食べてたら予約時間に遅れそうになったので)。 1年の殆どが「緊急事態宣言」下

2020年の総括音楽夜話 随時追記

1月〜2月 ”Same Thing” (feat.Superorganism) - 星野源 2019年大晦日、紅白歌合戦。出来上がったばっかりのスクランブルスクエアの屋上から届けられたこの曲のパフォーマンスを見ながら、ダメダメな過去を引きずっていながらも、来年は幸多き年になるかな、と大きな期待を寄せていた。しかし。 “GIVE” - TENDRE 年明けに皆川明のミーナペルホネンの展示を見に行った。その時のことはここに記しているが、そこでも取り上げている「有限と無限」のフ

2020年の日々へ

2020年が始まってしまった。 ここのところ年が明けるというのは、歳をとったからか、感慨も少なくなり日めくりカレンダーをめくるような感覚になってしまっているところを、なんとなく2013年位から思い始めて、それからというものどんどん加速していった。しかし、2020という数字を見るとその数字の進み方に立ち止まらざるを得ない。 2000年の終わり、小学生だったとき、2001年が来て21世紀になることに大きな夢を抱いていた。いつも暮らしている都市が、昔の雑誌やドラえもんのコミックス

繋紡

世田谷美術館にて「ある編集者のユートピア」を拝見しに出かける。 小野二郎という名前は初見であるが、ウィリアム・モリスと編集者、建築という言葉に何だか惹かれ足を運ぶことに。 内容としては、小野二郎のウィリアム・モリス研究から本づくり、そこから植草甚一、高山建築学校を経由しての石山修武の世田谷村へ、という構成。世田谷美術館というよりは世田谷文学館的な内容だったが、展示量を考えるとこの場所がふさわしいかな。最後のモリステーブルの眺めもいいですし。 展示を見ていて強く印象に残った

令和葉留場日誌、はじめます。

令和元年が始まってしまった。 気が付いたら「未来」というものが、本当に手の届くところまで来ている。 そして、下手すれば手をすり抜けて、過去という地面へ落ちていってしまっているのである。食べ放題で腹8分目で抑えるようにもなり、これが歳を取る、ということかとしみじみ感じる昨今である。 私がブログを付け始めてどれくらいの日々がたつだろうか、おそらく2007年ごろからなので、もう12年くらいになるだろう。毎日更新していた時期が長かったかもしれない。当時中高生だったぼくは、人生のテン