小学校の思い出とおばあちゃん先生

最近は多様性やLGBTQなんて言葉をよく見かけるようになった。

大学で専攻の関係で学んだ事もあって、一般社会にそんな言葉が当たり前のように飛び交うようになって少しびっくりしている

なんの脈略もないけれど、小学校の時の先生の話を書こうと思う。

私の小学校

私の小学校はそこそこ小さくて、全校生徒が240人ほどの小さな学校だった。

そして村唯一の小学校だったため、村の子供が全員そこに通っていた。

お話の会

私の小学校では、確か年に数回『お話の会』なるイベントがあった。

複数の教室に分かれ、それぞれの教室で先生達が読み聞かせをしてくれるというもの

事前に、読み聞かせの本のタイトルだけが発表されそれをもとに希望を提出。

当日に指定の教室で読み聞かせを聞くという流れだった。

当日に教室へ行くまでどの本をどの先生が読むのかは分からない

そのため本の内容だけで選ぶのではなく、お気に入りの先生が読み聞かせに選びそうな本を予想して希望を出すという選び方をする子もいた。

世界がもし100人の村だったら

私はそのお話の会で『世界がもし100人の村だったら』を希望した時の出来事をよく覚えている

その本は内容からも小学生にとってはあまり面白そうではなく、当日も教室にいた事数はとても少なかった

その本を読み聞かせてくれたのは、定年近い女の先生だった

私はその先生が好きだったし、本の内容も興味があったのでとても楽しみに読み聞かせを聞いた

そして今でも忘れない

その本の一節で

『もし世界が100人の村だったら、〇〇人は同性愛者です』

というものがあった

その時、その場にいた誰かが『同性愛者ってなんですか?』と聞いた

私は当時から読書が好きで、そして少しひねくれていたので(同性愛者の意味も知らないのか…)と少しその子を見下した

そうしたら、読み聞かせの先生は

『男同士でちゅーしたりする人達のことです。気持ち悪いね』

と笑顔でサラッと言って、また続きを読み始めた

同性愛って

当時の私はその先生の説明に納得も、憤りも覚えたりもしなかった

ただ(ふーん。そうやって説明するんだ)程度にしか思わなかったと思う

でも今になっても覚えている事を考えると少なからず衝撃だったのかなとも思う

この出来事を思い出す時の感情はフラットだ

先生の説明が偏見に塗れている事も、かなりまずい説明の仕方である事も理解している

私が小学生の時に定年間近の先生だったから、先生にとってはまだ『同性愛』は異質なものとして映っていたのだろう

ただ、私がこの何十年も前の説明を覚えているように子供が教師から受ける影響は大きい

今の子供達がもっとマシな説明をしてくれる大人がいる環境であることを願う

私が思う愛

私は同性愛について、あまり思うところはない

なぜなら、人は誰を愛しても自由だと思うからである

だから同性愛者がいるなら私は異性愛者なだけであると思うし、両者共に『愛する人を愛している人』なだけで、そこに垣根は無いと思う

ただ、これは綺麗事で実際は様々な問題があるのが現実だ

結婚、制度、サービス、様々な面において同性愛者は異性愛者よりも不利な面にたたされる

私としてはサッサと結婚できるようにして、異性愛者のカップルも同性愛者のカップルも同じ扱いをしたら楽なのにな…と思う

『同性愛者なのでこのサービス、制度、その他諸々はは受けられません』は効率も悪くないか?

よく『同性愛者は子供が産めない』という文句?をいう人もいるが今の日本で子供を産んで育てるのってハードル高くて普通に子供産めるカップルも躊躇うくらいですよ…?と言ってやりたい

あと『自然界では不自然。ありえない現象』とかいう人もいるが、キリンやペンギンの生態から調べてもらえると色々な生き物のこと知れて楽しいと思うのでおすすめしたい

同性愛者を気持ち悪いと言った先生のその後

話は戻って、さっきの先生はその後、定年になり今は自治体がやっている不登校の子供向けの塾?勉強支援?のボランティアをしている

同性愛についての理解が不足していて、当時小学生だった私にヤバい説明をした先生だが教育者としては子供を大切に思っているタイプの先生だったと思う

私も好きだったし

今でも連絡を少し取る

だから今の先生が様々な事を学び、知識をアップデートしている事を願う


今回の記事は全体的に願うしかできてないね

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