硬いエッセイ
記念すべき初エッセイの投稿だ。
お品書きにもあるように、硬軟織り交ざる予定であった。
「あれ、『硬』が見当たらない」
いくつか書き終えてそう気づいたが、そのうちひょっこり顔を出すだろうと呑気に構えていた。
「あれ、私の『硬』どこいった?」
更にいくつか書き進めてみたものの、一向に出てくる気配がない。確かあの辺にしまったはずと、あちこち探すはめになった。
「あったったった」
ようやく見つけ、さっと伸ばした手をペシリと叩かれた。拒まれたということか。
出会ってさえいなかった『硬』にすっかり愛想をつかされた。いや、少なくとも出会ってはいたが、放っておき過ぎたのかもしれない。どちらにせよ、このままでは永遠の別れを告げられることになりそうだ。
『硬』が『硬』たる所以を思い知らされる形となったが、はいそうですかと引き下がってもいられない。
「なんなのよ」
今度はなじられた。
なんだと聞かれても、『軟』だとしか言いようがない。
かと言って、言えば火に油を注ぐことになる。
「私にはあなたも必要なんです!」
あ、しくった。
「『あなたも』ってどういうことよ!」
もうこうなっては取り付く島もない。
「あなたには『軟』がいるじゃない!」
そう言い捨てて去ってゆく『硬』を、引き留めることなどできなかった。
できるはずもない。引き留めたところで、どうせまた『軟』なことを言ってしまうことはわかっていた。
ただ、私には『軟』がいるというわけではなく、自身が筋金入りの『軟』なのだということは伝えず仕舞いとなった。誤解されたままの別れではあったがしかたない。
すっかり困り果てた時は猛者に学ぶことにしている。図書館でエッセイ集を借りることにした。世の『硬』派な真性物書きは、一体どんなことを書いているのかといくつか読んでみると、交流のあった物書きの死を悼む内容のものが散見された。散見されはしたが、引き込まれることはなかった。ただ、作者の個性は感じられた。『死』についてなら、私もいける口のはずだ。何しろ一作目の短編小説で・・・・・・いや今はその話は置いといて、更に読み進めることにした。
「あれ、余計わからなくなってきたな」
読めば読むほど迷走するはめになった。
文字の羅列をひたすら目で追いはするものの、全く頭に入ってこない。
あれ・・・・・・記憶に残ってない。いやそんなはずはない。なにしろ名手が書いたのだから。
もしかして・・・・・・面白くないのか? いやそんなはずもない。なにしろ玄人が書いたのだから。そしてそれを識者が厳選し、まとめて下さったのだから。そうだ、きっとあれだ。依頼側の媒体と大人の事情に合わせて書かれているからだ。これが読者層のターゲティングとセンサーシップってやつか。これではさすがの猛者も遊べない。
こんなことを書いていると、草葉の陰の物書きモドキが何言っちゃってるのよと『硬』にどやされそうだが、そう思っちゃったんだからしかたない。
結局、山ほど借りたエッセイ集を大して読まずに返却するというループを数回繰り返しただけに終わった。今も記憶に残っているエッセイは片手で足りるほどだ。考えてみれば、小説集をしこたま借りた時もそうであったわけだから、これは単に好みの問題だと思う。
どうして『硬』も書きますなんて軽口を叩いてしまったのか。
そもそもの間違いはそこにあった。
さりとて、言った手前書かねばなるまい。
かと言って、ない袖は振れない。
振ったところでタプタプするだけだ。
そうと分かっちゃいるものの、振りたくなるのが人の性。
振ってみた。
タプタプだった。
つまり『軟』である。
『はと子劇場』などとゆる目に銘打っておいてよかったじゃないかと、自分を誉めることにした。そもそも私に期待されていることは、『硬』などではないかもしれないのだから。
いや、まだ諦めることはないのかもしれない。小説はさしてふざけず書いたつもりであるし、どちらかと言えば『硬』と言えないだろうか。『はと子劇場』はお戯れとして続けるとして、なんならあっちを『硬』と呼べばいいではないか。我ながら見事な『軟』着陸かもしれない。
はじめ『軟』ならすべて『軟』。
幸先のよいスタートとなった。
ご参考までに。
硬度 ―
軟度 ★★★☆☆
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