多様性とかの問題を「過渡期でおk」にしちゃうもやもや
・昨晩、近所のラーメン屋で冷やしゆず梅塩らーめんを食べていたら背後から聞こえてきた話。
「みんな友達結婚しちゃってぇ、あたし乗り遅れててやばいんですよぉ」
「中学校の同級生が結婚しちゃって乗り遅れちゃって。高校の同級生も結婚しちゃってそこでも乗り遅れちゃって。専門学校の仲良い子もみんな結婚しちゃって乗り遅れちゃって。あたしほんとやばいんですよぉ」
着丼してから食べ終わるまで、話し手の女子はそのことをずっと繰り返していた。まじでbot。
面白くなって思わず振り返ったら、量産系(の格好をしてるけど多分中身と合ってないっぽい)20代女子と、それよりちょっと年上らしき素朴系男子。女子はそのジャブをしつこく繰り出し、相手の出方を伺っている。男子はにこにこ相槌を打ちながら、お酒控えめ。ふたりの「あわよくば…」感がすごかった。ピンクの予感。
とりあえず浮かんだのは「あれタイムスリップした?」という驚きだ。全体的に古い〜! 新聞の日付けを確認させてほしい〜! あと「みんな結婚して乗り遅れちゃった」ってフレーズ、そんなに重ねるなら別の表現に言い換えてくれ〜!
・こんにちは。本願寺です。
小見出しをつくるわけでもなく「・」で箇条書きにするスタイルのときは、敬愛するダ・ヴィンチ・恐山さんのパクリと思っていただければ幸いです。リスペクト。
・音声コンテンツ『鳩ちっちと本願寺のDEAD OR ALIVE』出ています。
(子宮腺筋症の痛みはどのくらい? 輸血するとカラダってどうなる? 病気の人にはどう接したらいい?・・・など、病気で何度も死にかけた鳩ちっちと健康優良児の本願寺が「ココロとカラダ」をテーマに毒にも薬にもなる、ちょっとためになりそげ?な話をお届け中。異論は認めるけれどその際は優しくしてほしい。月木の朝7:30=渋谷区の燃えるごみの回収時間に更新中)
Podcasts : https://podcasts.apple.com/us/podcast/鳩ちっちと本願寺のdead-or-alive/id1628025786
Spotify : https://open.spotify.com/show/4cTYGfkDw9s2KBagodMHgq
Amazon Music : https://music.amazon.co.jp/podcasts/95fa2e6c-c7f6-4c60-88e7-f06474f42494/鳩ちっちと本願寺のdead-or-alive
今日は上記のチャンネルでも触れた内容にもリンクする、半径2m以内のお話。
・以前、乳がんで乳房を全摘した知り合いが
「大事に至らずよかったね」
と周囲に言われて「何がよかっただ、ざけんな!」と思ったと聞いた。
健康優良児だった私は「慰めの言葉を言う側」の経験しかないので、つい「どうか気落ちしないでほしい、命があってこうして生きていてくれるのは私もうれしい」と、精一杯の祈りを込めて言ったのだろうと思いたくなるけど、「言われた側」の気持ちはどうしたって慮れない。何が正解なんだろう。
「むずかしい問題よねー」「病人を可哀想な人だとみてほしくないかな」「治療できなくても、手を握ってなでてくれたことが救いになった」
卵巣がんや子宮摘出など、大きな病を経験した親友・鳩ちっちだからこそ言える言葉があるなあとつくづく思う。
・それで思い出したが、少し前に取材対象者がTwitterで「最近取材で嫌な目にあって疲れてしまった」とつぶやいていた。
編集ちゃんから「どうしましょう。うちらですかね…」と暗い声で連絡がきたが、思い当たる節はなし。だけどもし何か気に障ったのだとしたら正面きって謝るしかない。(言う側にそのつもりはなくても傷つく場合があると乳がんの知人の件で学習したばかりなので)
確認したところ、違う媒体とのことだった。
結果オーライだったけど、そしてその取材対象者はすごく面白くてチャーミングで我々には「良い人」だったけど、その場で相手に伝えずこっそり特定の誰かを攻撃するのは卑怯だし、その特定の誰か以外をやきもきさせる書き方をする時点で優しくないなあと思う。
・ジェンダー、ジェンダーフリー、ルッキズム…多様性ブームに懐疑的です、自分。
たとえばジェンダーフリー。もちろん「女らしくしろ」と言われたことには反発を覚えるし、世界的にも女性政治家の数はまだまだだと思うし、大学入試で女子生徒のみ足切りに遭うのはいただけない。レイプした学生を元気でよろしいといった政治家は心の底から逝ってよし(懐)。
だけど、だ。カラダ的に差異があり、性差以上に個人差のあるニンゲンに、平等にすることが万能かといわれると難しいと思う。
多様性ブームもしかり。「いまのは古い時代の考え方だ!」とポリスしてるのは「新しい正義」という名の剣を振りかざしてるだけで、これまでのきゅうくつな世界と全く同じ構図なんじゃないかなあと思うのだ。
先日書いた原稿でも、「おばあちゃんにも見えやすいよう陳列をしてるんです」という小売店の女性スタッフの一言に対して、「客はその人の祖母ではないのにおかしいと指摘されないか」「高齢女性以外の客を無視してると思われないか」「見た目でおばあちゃんと言ってしまう発言者への批判はおきないか」と、校閲さんと相談した。ちょっと息苦しい。
・まあ何が言いたいかというと
新しい価値観を謳っているのに、その訴え方がちょっち古いんじゃないのって話だ。そもそも冒頭のラーメン屋の女子のように、若い世代=新しい価値観とは限らない(まてよ女子はあえて古典をやってたのかもしれない)。かといって「過渡期だから」ってオチでまとめるのも思考停止でちょっとな〜という気はしている。
自分的には、体罰・パワハラ・セクハラ当たり前の時代に育ったためか、過去生からの業なのか、心の奥底に染みついた暴力性を自覚する瞬間がある。多分みんなあると思うけど。なかったらごめん。
で、まずはそういう自分を認めることから始まることがあるように思う。そんで、それもありつつ、それぞれが自立してればいいんじゃないかなあと思う。各々の裁量で、相手へのリスペクトありきで。違うと思ったら伝えて、逆に相手を不快にさせたら謝る。なんも特別なことはしなくても、ありがとうとごめんなさいを言えるだけで十分、と思うのは私だけだろうか。
(本願寺)