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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー / メトロポリタン美術館
2021/06/14 ぼんやりとした先に見えるもの
今、絵に関する原稿に追われている。引用したターナーの絵のように、抽象的でぼやけた絵から見えてくるものについて考えている。鮮明で具体的な絵よりも、語りかけてくる想像の余地が多いように思う。
輪郭が溶けるというか、物の判別がつかない絵。ターナーの絵は同時代人に賛否両論だったというが、結局、語り継がれている。
絵のよしあしは、専門家ではないのでよくわからない。でも、私にとっては、その絵を前にしたとき、どれだけ多くのことを思い起こさせてくれるかがポイントである。
映画「ナショナルギャラリー 英国の至宝」(2015年)で、絵の鑑賞者を撮影した場面があった。人々の顔は無防備なほど「素」の表情をさらしているのに驚いた。絵に向けるまなざしも、まっすぐというよりも、ぼんやりと眺めている感じだった。絵を観る行為とは、絵を通じて自己との対話をすることなのだと思った。
美術館に出掛けたときは、会場をぐるっと回ってお気に入りの1点を見つけ、見飽きるまで眺めている。照明や壁、空間も含めての美術鑑賞が好きだ。だから、オンライン公開にはなじめないでいる。