令和進化論-不便さを楽しめるくらいがちょうどいい-
人は、新しいことを考えるために、
余白が必要になります。
はいはい。
そんなことは分かっているよ!
余白って
時間的な暇とか、
経済的な余裕とか、
心理的なキャパシティとか
そういう話でしょ?
そんなふうに思っている方もいらっしゃるかもしれませんが。
ぜひ、そんな方は最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
▷古民家再生士の余白ある暮らし
先日、出会った古民家再生士が、
自らの暮らしについてお話をしてくださいました。
さすがは物件を仕事にしている方。
家が3軒あると言うことでした。
1つは、都市部にある機密性の高いマンションの1室。
1年を通して、同じように快適に生活ができるそうです。
2つ目は、ちょっと田舎(ちょいなか)にある
木造の古民家。
リフォームをしたので、
トイレ等は快適になっているのですが、
マンションと比べると、機密性が低く、
暑さも寒さを楽しむことができるといっていました。
3つ目は、さらに田舎にある築何十年も経っている古民家。
ここは山奥で、気候的にも寒さがかなり厳しい。
冬は、火を焚かなければ、
とてもじゃないけど、生活をすることが難しいそうです。
この中で、古民家再生士が好きな家は、
後者の2つ。
なぜならば、不便さを楽しむことができるからだそうです。
彼女はこう言いました。
「不便さを楽しめるくらいが余白があってちょうどいい。」
▷人はなぜここまで発展してきたか
人類の歩みを見ていると、
人は、楽や快適さを求めて
進歩を続けてきたように思います。
寒くて仕方がないから
ストーブを開発しました。
あまりにも計算ミスが多いから
電卓を開発しました。
手が荒れて仕方がないから
洗濯機を開発しました。
発明品はいつも
何らかの困り感から出てきたものです。
▷進歩したいのに、進歩する理由がないジレンマ
だからといって
今からすぐに困る状況に戻ってくださいと言っているわけではありません。
ただ、気がついて欲しいのです。
便利になりすぎたこの世の中では、
新しいものは特に必要がないと思っている人が大半です。
自分で何かを作り出す経験をしなくても生きて生きてしまうのです。
今となっては、
自分自身でクリエイトしていく人は
そう多くはなくなってきました。
与えられた仕事をしていけば、
それなりに生活ができます。
これは、幸せなようで
ちょっぴり寂しいことでもあります。
自分自身で道を切り拓いていく。
その風潮が薄くなってきてしまうのです。
本当は、自分自身がそのように生きていきたいと思いながら
進歩する理由がないと言う状況に陥ってしまうのです。
▷今、人は迷いの時代にいる
SNS何かを見ていても
ネガティブな投稿は少なくなってきたように思います。
ただ、自分の行き方に迷いを感じている投稿は珍しくありません。
読んでいると、
どことなく前に進みきれていないような。
そんな書き込みをよく見るのです。
人生をめっちゃ楽しんでますよ!
そのような方が、
崇められ
ファンができ
人を導いていく存在になっています。
心の中で、どこか迷いを抱いている人たちは、
自分の師となる人を探し、
憧れ探しの旅をしています。
ですが、その時は終わる事はありません。
なぜならば、
自分自身が何に困っているかがわからないからです。
快適な場所にいるから、
何か違うなぁと言う気がしても
そこから移動する理由がないのです。
かといって、不便な場所に身を置くのは
なんだか勇気がいるような気がします。
そこには1つブロックがあるように感じるのです。
「不便さは、大変さなのだ。」
本当にそうでしょうか?
不便さを楽しめるくらいが、
今の時代はちょうどいいです。
その不便さの中で、
不便なところも、自分の中に取り込んで、
さらに、豊かな世界を作っていくこと。
こんな生き方を、
求めている人たちが多いのではないかと
僕は思うのです。
#ラジオ
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