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カンリーCTO室に入社しました。CTOを経たからこそ見える、自分がやるべき仕事。
初めに
初めまして、2025年1月にカンリー エンジニア本部 プラットフォーム部 CTO室に入社した波多野(@hatamasa1988)です!
前職は同じくスタートアップに一人目正社員で入社し、自分で採用し、仕組みを創ったチームで長年やっていたので、誰かのチームに入るのが久しぶりで緊張しております。
社内向けに少し前ですが、12月の忘年会の30秒自己紹介で、まつ毛が長くてサングラスにあたることが最近の悩みですと打ち明けたエンジニアです。(前日嫁と練習したにも関わらず、また忘年会終盤にも関わらず、ややウケで大変恥ずかしい記憶となりました。笑)
そして、2025年最初の入社エントリーという大役に非常に大きな喜びを感じているのと同時に、私で良いのかと一抹の不安も感じております。
1万文字オーバーのnoteを書いたのは久々で、かつ人生一長いnoteになってしまいましたので、読み方を軽く説明させていただきます。
前半は義務教育時代にまで遡って今のパーソナリティを作ったコンテキストにフォーカスして書いています。興味ない人は前職の経験まで軽く読み飛ばしてもらって大丈夫です。(波多野の取り扱い説明書として手元に置いて読んでもらっても大丈夫です)
後半の「そしてカンリーへ」からは、カンリーの入社理由やカンリーで成し遂げたい事を書いているので、社内の人はこれからの私の決意表明として読んでもらえたら嬉しいです。社外の人は少しでもカンリーの魅力を感じとってもらえたら嬉しいと思います。
ただ社内外問わず誰かの興味を引けたら幸いです!
それではよろしくお願いいたします!
自己紹介
名前: 波多野 雅哉(Hatano Masaya)
略歴:
新卒で伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)にて不動産会社の基幹システム、不動産検索サイトをはじめ、新規・既存顧客など数多くの案件で提案活動、要件定義などの上流工程、PM/PL、設計/開発、保守・運用などを幅広く経験。
その後、ベンチャー企業複数社でフルスタックな技術からエンジニア採用や組織づくりなどを経験し、2020年4月any株式会社へ1人目の正社員として入社。
2020年7月CTO就任、同年12月取締役就任。
経営や戦略を考えるのと同時に、エンジニア組織をゼロから構築し、プロダクトロードマップの実現や開発生産性の向上に取り組む。
2025年1月カンリー エンジニア本部 プラットフォーム部 CTO室にエンジニアとして入社。好きなバリューは「正直であれ」。
呼び名 / あだ名: はたの、まさや、まさやん、まーくん、はたまさ
出身地 / 住まい: 千葉県千葉市稲毛区 / 東京23区
家族構成: 嫁+息子+息子、父+母+犬+犬、妹+義弟+犬+犬
長期休暇はわんわんパラダイスで過ごしてます🐶
趣味 / 興味: お酒(何でも飲む)
ジム、サウナ、スノボ、育児、(仕事)
好きな食べ物: ハンバーガー、蕎麦、カレー
唐揚げ / 油淋鶏 / チキン南蛮、餃子
好きな飲み物: ビール、ウイスキー、ラム、日本酒、焼酎、ワイン
スキル: サーバーサイド > インフラ >>> フロントエンド
PdM / PjM、EM
性質: 短期間である程度高いクオリティに仕上げる
直感・インスピレーション多め
理論やフレーム、ロジカルに物事を考える
感情が読みにくい(らしい泣)、仲間意識が強い
根が明るい、真面目、大らか
どこかで笑いが欲しくなってしまう
人生のハイライト
1988年、千葉にて誕生👶
父は料理人、母は私が小学校に入るまで専業主婦と、平凡な家庭で生まれました。小さい頃はずっとおじいちゃんっ子で、私のマメで几帳面なところは祖父に似たなと感じています。
10円ハゲでサッカーを引退する⚽️
幼稚園の友達がみんなサッカーをやってたので地元のサッカークラブに入る。のちに国立に出場する人を輩出するようなハイレベルなチームで、当時の感覚からはあまりにもキツい練習にひたすら耐えていました。当時はぽっちゃりしていて運動神経もあまり高くなく、チームの足を引っ張り続けていてあまり楽しい思い出はなかった記憶があります。
そして、ある日母親が10円ハゲを見つけ、退部へ。。。
泣き言を他人に話す事が苦手なのはこの当時からのようです。
中学: 仲間と成し遂げる楽しみを学ぶ中学野球⚾️
一念発起した青春の物語として今も大切な思い出になっている中学時代で、ちょっとした地元の伝説になっています。
入部当時、先輩は3年生が2人だけ。活動停止状態の野球部に入部。
グラウンドは2年間キャッチボールしかやっていなかったため雑草が生い茂っていて、その状態から保護者総動員でグラウンド全体の除草作業から取り掛かりました。
その後はスタート時点からは想像もできないくらい大会を勝ち抜き、最後の夏の総体では千葉市ベスト8まで勝ち進み。レアでエモい経験ができた中学校時代となりました。
卒業後は学校側が奮発し野球グラウンドのフル整備が入りその後の野球部の再興に一躍買ったらしいです。
チームで何もないところから始める楽しさに気づけたのは、中学での経験があったからだと思います。
高校: 黒歴史の高校野球⚾️
高校は塾で勉強し千葉市の進学校へ入学。クラスメイトに野球部に入りたい人が多く、その流れで再度野球部へ入ります。
何人か辞めていく中、「根性なしと思われたくない」それだけでやり過ごす日々に嫌気がさしていて、3年生になり奮起するもレギュラーにはなれず。
3年生最終試合の最後のバッターに。一塁走者が牽制アウトでゲームセット。(ただ打てる気がしなかったので全然恨んでいない笑)
ただでさえキツイ練習に加えて、監督や顧問の考え方が私とは馬が合わず悶々とキツイ3年間を過ごした感覚があります。
今振り返ると、チームメンバーと話して監督に提案したり、行動を起こせば良かったものの(自分たちで何かを変えていくことを知らなかっただけかもしれませんが)「監督が絶対」的で、発言しにくい空気感が流れていたと感じています。
高校卒業後20年ほど経とうとしていますが、たまに今の自分がまだ野球部にいる夢を見るほどです。私の中で唯一と言っていいほどやりきれなかった3年間だったと思います。
夏に引退するまでは部活動でほとんど勉強をしなかったのですが、引退後には友達と交流もせず猛烈に受験勉強をし、早稲田大学に合格しました。
塾には入っていましたが、講座は2つほどしか受けないなど、やらされる事に反抗し、自分のやり方の正しさを証明したい気持ちでやっていた受験勉強だったと感じます。
成果が伴わないルーチンとそれが腑に落ちない場合、かつ改善を自らできない場合にモチベーションが出ないタイプなのはこの頃からの体験があるからかと思います。
大学: サークル活動を謳歌した大学生活🎸🎤🍺
運良く早稲田大学に入りましたが、所沢体育大学と言われるど田舎のキャンパスで過ごすことになります。笑
普段の遊びは都心のそれとは違い、大学のコミュニティ活動以外に選択肢が豊かではありませんでした。
結果、アウトドアサークル、バンドサークル、バーテンダーサークル、オールラウンドサークルと4つ掛け持ちでサークル活動を謳歌しました。
オールラウンドサークルは創業する仲間に乗っかる形で初代メンバーとして、ビラ配りや呼び込み、宴会の盛り上げをやったり、幹部メンバーにお邪魔する形で謳歌しました。
アウトドアサークルを主にメインで顔を出していて、10年ほど続いている割と息が長いサークルで、50~60名程のメンバーを抱えていました。
幹部の先輩たちと仲が良かったこともあり、その後副サークル長として、イベントを企画してリードしたりサークルを盛り上げようと自分なりに頭を使いながら精力的に動き、チームをリードする何たるを経験させてもらいました(大袈裟かも知れないが)
この頃から割とストイックな事が好きで。色々なことにチャレンジしました。
他の人がやらないようなことに、自分なりの意味を見出しチャレンジするのが好きでした。
その中でも、100キロハイクは3回完歩しました。(本庄早稲田から高田馬場のキャンパスまで仮装して120kmを歩く早稲田の謎行事で、早稲田大学の3大行事のうちの一つです。)
社会人でもエントリー枠ありますが大人気で中々出れないらしいですが、興味ある人参加してみてください。
ゴール最後の交差点では、先頭集団が立ち止まり早稲田大学の第一応援歌の「紺碧の空」を熱唱した後にゴールまで全力でダッシュします。
3回も出てしまった理由は「先頭集団で紺碧の空を熱唱し、ダッシュしたい!!」それだけでした。
その後、就職活動では夢を売る仕事に惹かれハウスメーカーのオーダーメイド住宅の営業に内定をもらうもバイトに集中しすぎており(週4~5日扶養控除ギリギリまで働いていた)、卒論提出の手続きを忘れ半年留年、内定取消。
翌年、再度就職活動。元々のリーマンショックでの就職不況に重なるようにして、3.11 東北大震災が起き、日本はダブルパンチで就活難な時代真っ只中でしたが、無事大手SIerのCTCからの内定を勝ち取りました。
新卒: 社会人基盤を作ったCTC時代💻
大手SIerのCTCに入社し、半年の詰め込み研修でJava, Oracle, Ciscoなどの基礎を叩き込まれます(ガチな研修)
配属最初のPJはエンタープライズ開発事業部的の不動産会社の基幹システム開発。20億円トータル2000人月くらい(炎上案件)のアーキテクト部へ配属されました。
残業は100時間を超えることもしばしばでしたが、鍛えられたのは心身共に丈夫に産んでくれた両親のおかげかと思います。。。
部長やPMが立て続けに入院するヤバめの案件で、リリース近くにはオフィス近くのホテルを何室か常に確保し、順にシャワーを浴び髭を剃り、仮眠に帰っていました。
その後も大手らしく大規模な開発をいくつか経験。不動産web検索サイトのリニューアルを経験し運用・エンハンス開発フェーズのバックエンドチームのPMをやったり、鉄道会社のアプリ開発など貴重な経験ができて面白かったのですが手を動かすことが少なく、キャリアに不安を覚え転職を決意します。
その他にもSIerの多重下請け構造が私の価値観に合わなく、二次受け以降のエンジニアたちが実際は技術で価値を出していますが、マージンを取りながら技術屋ではない私がマネジメントすることに違和感を覚えたのも大きな転職理由の一つでした。
この頃の経験が起点となり、技術で価値を出すことと、エンジニアへのリスペクトが大切だと感じるようになりました。
平日は半年ほど残業の後に深夜までRailsを勉強し数年やっていなかったプログラミングを復習し、そのときに勉強していたcsvインポートの開発が面接課題で出たおかげで、何とか東証一部ベンチャー企業への内定を勝ち取ります。
何でRailsかというと、Railsがやばい!と友人が言っていたことを思い出した、ただそれだけでした。笑(面接では調べたRailsの選定理由を後付けした)
退職挨拶周りで言われた部長の言葉は今でも心の支えになっています。
『いいか、良く聞け。この会社を辞めたやつは社会で活躍しないといけないんだ』
この言葉はお世話になった会社を後にするときに、いつも私を奮い立たせてくれる言葉となっています。
エンジニアとして飛躍したベンチャー・スタートアップ時代🏃♂️
転職先はポイントメディア事業をやってる会社。PHPのSilexでリニューアルする案件にjoinし、ローンチ後はASP周りの繋ぎ込みや成果反映周りの新規開発を実装し、メイン担当者となりました。
そのうちCTOが退職し、上長がBiz側の事業部長になり組織が大きく傾いたときに転職を決意。当時副業をやってたスタートアップに転職します。
転職先のスタートアップでは動画をアップロードして、タグ付をするとインタラクティブ動画が作れるSaaSを開発していました。
当時インタラクティブ動画技術は取り組みとして新しく、話題性や技術的に面白い領域であることも加わり、会社に勢いがありました。
機械学習を使いタグ付けを自動化したり、LIVE配信でリアルタイムにタグが付いた動画を配信したりと当時流行の最先端である動画のテクノロジーに触れる事ができたのが楽しかったです。
成長するスタートアップで自ら企画立案したものをやらせてもらいながら、サーバーサイドからフロントエンド、インフラ、採用活動、全社組織開発なども担当しました。
その中でもエンジニア採用が一番重要だと思い、上司にやらせてくれと話し大部分を引き受け、業務の半分くらいの時間を費やし、スカウトやカジュ面、コンテンツ作りを我流ながら行い、もちろん私だけの力ではありませんが半年ほどで3人エンジニアを採用できたことで採用が面白いと感じたのを覚えています。
全社カルチャー推進チームにも入り、カルチャーの設計やディスカッションしつつ思考を巡らせカルチャーの重要性に気づく事ができ、この時の経験が前職に多分に活きることになり、とても良い経験をさせてもらいました。
ギュッと詰まった1年半を過ごしながら、会社は入社時13人だったが30人以上に拡大し、シリーズBの調達を完了しました。
成長するスタートアップは何たるかを一通り経験できた貴重な経験でしたが、同タイミングで転職を決めました。
この一通りの経験からスタートアップにより強く興味を持ち、経験してきたフェーズを自らで創っていきたいと感じ、友人と起業を志すも(手前味噌ではあるが実際に現地調査やビジネスモデル設計をして試しにピッチにも応募したり割とやる気ではいました)、その途中でany株式会社の代表吉田に誘われ、当時正社員が1人もいないanyに一人目正社員として飛び込みました。
2年間で感じたスタートアップでの働き方や9割の負、そして1割あるかどうかの興奮の様なものをもっと感じたいと思ったし、むしろ自分が主導を取ってやって行きたいと感じていました。
any株式会社🎁
ナレッジプラットフォームQastを運営しているanyに一人目正社員で飛び込みましたが、時代はコロナが上陸し拡大フェーズで、リモートメインの週1出社になります。
入社時にはプロダクトはリリースされてから1年少し経過していて、業務委託2人で運用をしていました。
入社後はまずアーキテクチャを把握し、エンプラを受注できるようなセキュリティ基盤を整え、知り合いで手伝ってくれそうな人に一通り声をかけてチームを作りました。
チームもできて取締役CTOを任されることになります。
経営に関わる大部分は代表が考えていましたが、私は代表の考えたことを経営会議で壁打ちを受け、頭を捻りながら経営に共に考えるなどしていました。
一方でエンジニアチームのことは信頼して任せてもらい、採用からのチーム作りも丸っと一人で担いました。
これからずいぶん長い期間自分で採用媒体から候補者をピックアップし、スカウトを送り続けました。
それ以外の時間はエンジニアとして手を動かして、エンプラ受注のための短納期の開発が多く、粗めなコードを書いてしまっていたのは今でも反省しています。。。
その後会社は成長して行き、エンジニア5人くらいの時から手を動かす配分を減らし、マネジメントと採用に集中することを決めました。
メンバーの協力もあり、正社員業務委託合わせて20人近くまでチームを拡大することに成功しました。
プロダクトロードマップの開発はSIer時代から学んだ、自分がいなくても回るチームづくりを念頭においたマネジメント方針をメインとして取り組み、大枠は抑えつつ、開発はメンバーを信頼して任せるようにしました。
ロードマップを進めつつも、チームを分割をし、会議体の設計、エンジニアMVV、エンジニア評価制度などの基盤を少しづつ整備しました。
未経験のことを書籍を読み漁り、他社のCTO達やアドバイザーに教えてもらいつつ進めることで形にする事ができました。
ちなみに、エンジニアMVVやエンジニア評価制度については、運用面で問題があり、導入から1年ほどで廃止の意思決定をするなど一通りを経験しました。
自分の意思決定で会社が良いようにも悪いようにも動く、、、CTOの日々はプレッシャーも多く、意思決定の過程で頭を抱える事が日常茶飯事でした。
ただ、重要な意思決定を担う過程で身についた目線の高さや度胸、物事の考え方などの成長は他には得難い経験だったと思います。
ちなみにマネジメントは失敗が多かったです。。。
本当に色々な人の助けを借りつつもがむしゃらに前に進めるようなブルドーザーのような感じだったかも知れません。
熱い気持ちが入ると他の人を置いていってしまう悪いところにも気づくことができたので、今後の機会には、熱い気持ちを伝播させて、みんなをついて来させて、リーダーシップを最大化できるように努力しようと思います。
その後、シリーズB手前でCTOの肩書を外してからは、エンジニアとして自分が立ち上げた横断的な基盤チームのリーダーとしてゴリゴリ改善に取り組みました。
エンジニアとして、自分が余裕ない中で書いたとんでもないコードに敬意を払いつつ全て爆殺したことも、他のメンバーが書いたコードに敬意を払いつつ爆殺したことも、自ら考えたアーキテクチャ、設計を最後まで実装し切ることも久しぶりに行い、エンジニアリングが好きだなと再認識した半年でもありました。
9割の負、そして1割あるかどうかの興奮の様なものが入り混じる4年8ヶ月でした。
スタートアップは波瀾万丈、生きている気がして個人的には大好きです。
「スタートアップの旅路は、登り続ける苦しい坂道だが、その途中で見る景色は他では味わえない。」
― 不明(スタートアップ界隈でよく使われる言葉)
4年間CTOをやり会社は成長しましたが、自分は無名なCTOだったと思います。
anyに入社する前から経営に関わるエンジニアになりたいと思っていて、自分の担う意思決定の大きさと解く課題の大きさは重視していました。
退職を決意した当時としては、anyのCTO / エンジニアとしては自分がすべきことは一定やり切ったと感じ、引き継げる基盤が整ったタイミングでもあった事が後押しとなり退職を決意しました。
まだまだCTOや経営を引き続きやり成長したい気持ちもありました。
まだまだエンジニアとしてでも育ててきたanyと共に歩みたい気持ちもありました。
ただ、自分が作ったチームであることや、勝手知るプロダクトなど居心地が良くなってしまっていたのも事実で、現状に甘える事なくチャレンジしたいと、意を決して決断しました。
そしてカンリーへ
noteも後半に差し掛かりました。
ここからはカンリーへ人社した理由を話していきたいと思います。
正直、転職活動を通して何社かお話をさせていただいた中でかなり悩みました。
CTOや経営を引き続きやりたい思いに始まり、入社してバリューが発揮できるかどうか、自分がやるべき仕事かどうか、など様々観点から網羅的に考えました。
考えに考え抜き、最後は次の3つでカンリーのオファーを受けることに決めました。
①『1番、一緒に働きたい人たち』であったこと
②『正直であれ』のバリューが浸透していること
③『店舗経営に貢献できる』喜びがあること
それぞれ説明させていただければと思います。
入社の決め手① 『1番、一緒に働きたい人たち』
転職活動の中で、最終的には2社で迷いました。実際には転職活動の中でもこの人たちと働けたら絶対に楽しい!と感じる会社は多くはなく。転職活動1, 2ヶ月の中で出会えることは運に恵まれたとすら思いました。
選考の過程では辰巳さん、当時NewJoinnerのCTO小出さん、CIO萩野さんとも話すうちに次第に引き込まれて行きました。
辰巳さんには幼少期の経験やサッカーや高校野球の話、家族にまつわる話など、複数社お話しさせていただいた中でも一番に私自身を深く知ってくれようとしていたのが一番嬉しかったです。
エンジニアの選考では技術などのハードスキルの話が自然と多くなる中、その人自身を深く知ろうとする選考は初めてで、毎回どんなことを知ってもらえるのだろうとワクワクしていました。
そして辰巳さんの熱量や巻き込み力の高さ、小出さん、萩野さんのエンジニアとしても経営としても深い経験と高い能力もありますが、何よりも気持ちよく接せれる雰囲気の良さや人間としての相性に惹かれていきました。
会食で内定をいただき、辰巳さんの猛烈なアプローチを受けつつ、内定の最終回答日の前に会食の予定を組みました。
しかし、熱に流されやすい私としては冷静になって考えたく、そこまでに自身で結論を出そうと一時は決めていました。
そして、辰巳さんと約束した「正直であれ」のバリューに従い(不思議と正直であれのバリューに従ってしまった笑)もう一方の会社に気持ちが傾いていること、そして会食までには結論を出すと辰巳さんにLINEしたところ
「会食に来るまで決めないでください!!お互い後悔なく対話して、それから結論を出してください!!」(意訳あり)
との返信。
この熱量に押されカンリーをより強く意識し始めました。
こんなに熱くて最後まで諦めない代表が2人もいる会社なんてヤバすぎる!(面白すぎる!)。私もこの一員になりたいと沸々と湧き出てきました。
そして、再度会食をし、現状の気持ちやどういった判断基準になるかを正直に話させてもらいながら、店舗経営の可能性やエンジニアチームの今後、そして一緒にチームを作っていく構想など、夜遅くまで語らいました。
その会食をもって、転職活動での全てのイベントが終わり、あらためて一人で冷静になって考える時間を設けました。
仕事で上手くいくことも、上手くいかないことも、楽しいことも、辛いことも全部「人」だと言う事が、私の根底を支える一番の原体験であると振り返りを通じて気づいたこともあり、最終的には『1番、一緒に働きたい人たち』と働こうと決めました。
「チームが成功するか失敗するかは、人の相性と信頼にかかっている。」
― パトリック・レンシオーニ
入社の決め手② 『正直であれ』
一番好きなバリューであるとともに、前職で後悔したことでもあります。
正直は難しいです。
自分の心のうちを伝わるように言語化するのが一番苦労する。そして言いすぎることは悪いことではないが、時と場合、そして人を選ぶ。
カンリーにはそれを進んで行う文化があるのが嬉しかったです。
ここでなら、前職よりも良いチームがあるかも知れないし、作れるかも知れないし、その過程で私もみんなから正直にフィードバックを受けたいと思っています。少しでも気になったことはじゃんじゃん言ってください。
私は本気になるとやや怖くなるようです。
少し怖いと思うこともあるかも知れませんが、良いところも悪いところも全部言ってください。
言われる事は自分自身の成長に繋がると確信しているので、全く怖くないのでよろしくお願いします。
(怖いと思ったらその瞬間「怖いです」と言ってください笑)
入社の決め手③ 『店舗経営に貢献できる』
店舗が好きです。
飲食店は言わずもがな、色々なショップも好きです。
店舗が演出する空間や、スタッフやお客さんが醸し出す空気感。
それぞれオーナーや店長の色が出ていて、一つとして同じ店舗は存在しないと思っています。
比較的家の外にいる事が好きな私はコロナ禍でもリモートワークでカフェ巡りをし、禁酒法が敷かれた東京でも空いている飲食店を調べて外食していました。
自分が好きなものに携わり、街中で実感できることはそうそうないです。
エンジニアは個人差はあれど、どういうプロダクトに携わるかこだわる人が多いです。自分も何を造るか、何に貢献するかはしっかりと考えるタイプで、カンリーには貢献したいと思う店舗がありました。
カンリーで何を成し遂げたいか
noteも終盤になりました、ここまでもかなり長かったかと思いますがもう少しお付き合いください。
カンリーではこれからの事業を伸ばすために必要なことを何でもやっていきたいと思っています。
なのでチーム横断的にできるCTO室はベストだと感じていますし、CTO室であるからこそ、取締役CTOとして培ったキャリアを活かしながら急成長するスタートアップを作っていくことが、まさに自分がやるべき仕事だと感じています。
ざっくりとした決意表明でもありますが、自分に正直な気持ちでもあります。まずはCTO小出さんの下、エンジニア組織を盛り上げます。
急拡大する組織を支える組織基盤を整え続けること、今後のプロダクト展開を促進できる技術基盤を整え続ける事、この2つを同時にエンジニアとしてやって行きたいと思っています。
「組織を急成長させるとは、単に規模を拡大することではなく、スピードと質を両立させ、正しいタイミングで正しい決断を下すことだ。」
― エリック・シュミット(元Google CEO)
本当は優秀なエンジニアを採用するために、ロジカルにカンリーに入るべき理由などを語れれば良かったのですが。笑
何よりも、カンリーと共に歩みたい
最後の前に少しだけ前職の話の続きをさせてもらおうと思います。
CTOを降りたのは経営陣と今後のCTOについて会話をし始めた事がきっかけで、マルチプロダクト展開などの構想を実現するためには、より技術に精通したCTOが必要という判断でした。
元々、私の強みはエンジニアに閉じずにマルチにある程度できる器用貧乏的なところであるため、創業期は自信がありましたがいずれは別にCTOが必要だと考えていたこともあります。まだまだエンジニアとしてもリーダー、マネージャーとして成長しないといけないと考えています。
そして人生のタイミングとしても、第二子が生まれる前で、今後のキャリアについて否が応でも考えさせられるタイミングでもある中で、カンリーと出会いました。
今までカンリーとは交流こそありませんでしたが、スタートアップとしてはany社とかなり近い存在で、創業期からほぼ同じタイミングで切磋琢磨しています。
事業領域が異なるので強く意識してはいませんでしたが、初期のサービスをピボットしているし、ICCやIVSでも代表は同じステージに立っているし、前CTO長谷川さんはシリーズBで交代していたり、私にとってカンリーは同じ境遇を共にした戦友のようであり、親同然に育てたanyと重なる気持ちすら覚えようで、言語化しきれない思い入れがあります。
入社の決め手を3つ挙げましたが、そういった共通するコンテキストがカンリーに共感する理由であり、入社後の決意をより強固なものにしています。
最後に
ここまで長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
カンリーに入社するにあたり、私のこれまでの経験や考えを少しでも多くの人に伝えたいという思いでこのnoteを書きました。
まだまだ未完成な人間ですが、カンリーというフィールドで新たな仲間とともに、より大きな挑戦に向かって進むことを楽しみにしています。
そして、カンリーで互いに刺激を与え合い、さらなる成長を促せる場所、さらなる成長を遂げられる場所にしたいと思っています。
何か気になることがあれば、ぜひ気軽に声をかけてください。
最後の最後に
CTO室が気になる方。これからのカンリーエンジニア組織が気になる方。
そうでなくとも一緒にこの事業を盛り上げ、組織を急成長させたい方。
何か気になることがあれば、ぜひ気軽に声をかけてください!
社外の人は冒頭のXに気軽にDMください!
カンリー採用サイトも見てください!
最後の最後は要求が多めになってしまいましたが。
一緒に旅路を楽しんでいきましょう!
カンリーでの挑戦はまだ始まったばかりですが、これからの未来を一緒に創っていけることを心から楽しみにしています。
それでは、改めてどうぞよろしくお願いいたします!
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