「知ってほしい」という言葉の違和感。
最近、「知ってほしい」という発言が少しズレてるかもしれない。
と、違和感を感じています。
気軽に使ってはいけない言葉なのかなとも思うのです。
「知ってほしい」という人の批判では決してなく、あくまで僕の中で違和感を感じたということです。
KILINOKAをはじめたとき(今もですが)、いろいろな人に言っていたり、SNSでも発信してました。「KILINOKAを知ってください」「重症心身障害児、医療的ケア児のご家族のリアルを知ってください」「お母さん、お父さんの想いや経験を知ってください」など。
しかし、ふと、自分がまったく興味のない業界や分野の人が「○○○について知ってほしい!」と言われたとき、「知る」ってどのレベルで?と「?」が出ちゃうなと思うんです。
戸惑ってしまうこともあります。
よく「相手の立場に立って考える」と言いますが、僕が立ててなかったのかなと。反省しました。
もちろん「知ってほしい」ことは事実なのでが、「知る」って人によって温度差もあるし、その人のいる状況、または、「知って」って言われたときの受け手の感情によっても大きく変わってきます。
そんなふとした疑問から、考えるようになりました。
「知る」を辞書で調べたり、自問自答したり、自分の考えを人に説明したり、自分のやりたいことや目指したい社会を言葉にしていると、気づいたことがあります。
それは、
今まで僕が言っていた『知ってほしい』は『共有して一緒に考えたい』ということです。
で、その先に、誰もが安心して暮らせる社会があるのかもしれない。ということです。
今のKILINOKAは、夢はおおきですが、まだまだ未熟で、
「知ってほしい」だけでは弱くて、「共有して一緒に考えていく」というスタンスが最近、腑に落ちてます。
KILINOKA
服部祐介
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