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【謹賀新年】年頭に人生のテーマを考えました。

2023年新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

本年『元旦一発目』のツイートです。

その後、今年の目標をあれこれ考えていたのですが、その前に今一度人生のテーマを考えてみたいと思います。土台がしっかりしてないと、その上に立てる家もぐらついちゃいますのでね。

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話せば長くなるのですが、僕は去年の11月から『#夏目漱石全作品読破チャレンジ』に挑んでおります。

『坊ちゃん』〜『三四郎』〜『それから』と読破して、いまは『門』を半分ちょい読みました。本当に気づかされることが多いです。

いまのところ読んだ作品の中で一番印象深かったのは『それから』の『大助』です。

その『代助』の生き方は自分も社会で揉まれるのは嫌、だから親が決める結婚もしたくない。かと言ってなにかやりたいことはない。親の援助で生活には困っておらず、何となくその日を暮らすモラトリアムな人生を送っています。

どころが、自分も以前交流のあった親友の妻に段々と引かれてゆく、お互いに想いを寄せることにかこつけて。ただ自分は積極的に何かを打開する気はサラサラない。親友や自分の血縁者には「好きな人がいる」と伝えはしますが、それ以上どうやってこの人と暮らしていくのか何の覚悟もない。

堂々めぐりのまま物語は終わります。しかし、この主人公がこのままの考えでは、あまり良いことは起きないのではないのではないかと思いました。

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自分が抱える自我に縛られながら生きる主人公『代助』。自我とは『安全を確保しながら欲する承認欲求』ではないかと考えてます。代助と同じく『門』の宗助も、自らが抱える自我で動けなくなっている。

宗助の場合、親戚の『佐伯』の叔父さん、叔母さんに任せた家屋の相続。弟の小六の養育の問題も降りかかります。が、今の自分の生活を手放したくない、妻を愛しているようで、過去の呪縛に縛られ、自己保身がそうさせている印象を持ちます。

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そこで思い出すのは過去記事でも書いた、ナチスドイツのユダヤ人強制収容所からの生還者V.E.フランクルが書いた『夜と霧』の一文です。

人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。

V.E.フランクル『夜と霧』みすず書房

僕が思うに、人生に対して、僕らが『なぜ』と問うてはいけないのです。そうではなく、人生が投げかけてくる問題に対して誠実に答えていくことが『人生』なのです。

もし『それから』の大助であれば、お互いに想いを寄せる結果となった親友の妻と夫婦別れをさせて、自分と暮らしていくには、どうしたらいいのか。覚悟を持って考え抜くこと、そして行動することが彼にとっての人生なのです。それが世間の道義的責任を問われるリスクがあってもです。その責任の取りかたとは、親にも勘当され、頼るすべもなく、仕事をして、自らの手で人生を切り開く相当な覚悟が必要でしょう。

自分の身に置き換えてみると。

僕は本当に体の故障が酷くなりました。いま歩くことが思うようになりません。ドクターの治療は受けておりますが、今後どうなるかもわかりません。けど仕事をしなければ生活はできません。

しかし『どうしてこうなるんだ』『俺の体は治るのか』と問うてはいけないのです。不自由ながらも懸命に生きていくこと。それが人生が僕に与えた課題なのです。自分が抱える体の状態を受け入れ、他人(ひと)に不自由さや痛みを必要以上にアピールするのではなく、工夫をしながら、出来る精一杯の責任を果たしていくことだと思っています。

そうすれば自ずと『自我』の問題は軽減するのだろうと。越えなければならない、課題を果たしていこうとすれば、承認欲求は小さくなっていくのではないかと。

それが今考える僕の人生のテーマです。このテーマを土台にして今年も自己実現に向かって、進んでまいります。

末筆ながら本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ひとつだけ具体的な目標を。年末までにTwitterアカウント『万垢達成』します。

それでは今日はここまでにします。どうもありがとうございました。




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ハスヌマ ゴロー(蓮沼五朗)
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