曇り時々晴れ、たまに雨
珍しく、数日にわたり気分が落ち込んでいた。
たまに数時間程度落ち込む事はあるが、そういう時は何かしらの外部刺激や過去をふと思い出したり等、きっかけがあって落ち込む事がある。
今回は何もきっかけが無く気付いたら落ち込んでいた。
落ち込みながら体調不良にも陥っていた。主に夜にかけて頭痛が来て更にイライラが増していたので、あまり外部刺激を得ないように出来るだけ慎ましくしていたかったが、クサクサしていたので外に飲みに出てしまった。
ガヤガヤとした店に入ってしまい、ものの30秒で後悔する。お店の中がうるさ過ぎて何にも集中できない。
店員さんの声に殺気すら感じる。
彼氏さんと一緒に居たのだが外席に移動できるかどうか聞きたいと思ったところ、外席寒いかもよと言われ、それにもうっすら苛立ちを感じた。
如何にも、私は今イライラしていると冷静になれたが昔の私ならココでだんまりを決めて「頭痛いから帰るわ」と先に帰っていたところである。子供っぽいことを平気でやってた自分が恥ずかしい。
そして、夜にかけて何もやる気が起きなくなる事もあった。しばらく作業して体が怠くなり、少し横になれば楽かなとベッドに横たわるとそこから夕飯時まで動けずにいたこともあった。ボーッとしてしまう。
朝は朝で起きても二度寝してしまい、更に体が怠くなるという悪循環に陥っていた。起きていようとしても何もやる気にならないので寝てしまっていた。散歩など出れたら良かったが気持ちが追いつかないでいた。
今の私は思いの外、苛立っているし敏感になっている。と自覚できていた。
寒暖差でやられているのだと思うが、ここ数年で季節の変わり目にやってくる不調になる体調変化・気分の上げ下げ等が出てくるので、こういう事もあったのだと記しておきたい。
特に苦手なのは頭痛だ。
頭が痛くなるという事は呼吸するのも辛くなり、その瞬間だけ人間を辞めたくなる。
ズキズキとした痛みが続くのは本当に気持ちを苛立たせる。イライラしながら作業してても追い打ちをかけて小さなミスを重ねて更にイライラする。
まぁ、焦っても仕方ないと居直れればいいのだが、その余裕が心の隙間に湧かない。
視野が狭くなってしまった感覚で、日中イライラしながら、作業にも集中しながらの生活はなかなかしんどい。
外に出て一呼吸置く。としたいところ、外に出てお店に入れば環境音が気になり一息もつけない。
困ったものだが、家にいても外にいても息苦しいのは変わらないのでどうにかやりくりしていくしかない。
過ぎ去るのを待ちながら眠りにつくが、なかなか眠気が来なかったり寝苦しかったり、パシっと目を覚めまして稼働したいのに眠気が退いてくれない事を最近繰り返していると気分がますます滅入っていくのを実感する。
活動的になれる日もあれば、閉塞的に生きている日もある。混合状態かもしれない。
担当医に症状を伝えるため、メモをまとめていたらあまりに辛いことが多すぎると悲観してしまい、まとめながら情けないが泣いてしまった。
こないだまであんな調子が良かったし、普通に過ごしていたつもりなのに、こんなにも?と思いながら生きる事すら辛くなってくる。しんどい。
このような状態で、いつも通り診察を受け、やはり混合状態だと診断された。ただ、軽めの混合状態だと言う。自分の状態を冷静に判断できたのは僅かながらの進歩だ。
私の調子は今まで良かったとも言われた。「もどかしい感じはある?」と聞かれ、「調子が良かったと感じてた昔の躁気味の感覚を脳の中でまだ覚えてるみたいです」と言ったところ、首を振って躁気味だった時の事は忘れなさ〜いと茶化された。
こんなお茶目な一面持ってたんかこのじーさんと思いながら笑って、そうですねと相槌を返す。
調子が良かった時を忘れられない。恐らく双極症あるあるではないだろうか。
躁気味だった調子の良さが私にとってのフラットではない事、ちょっと調子が悪いくらいが私にとってのフラットだという事。
躁になると忘れやすいことなので、自分に言い聞かせていくしかないようだ。
また三週間が過ぎ、診察を受ける。
この時にはちょっと上がっているような、この所の不調具合がマイナス5くらいだとしたら、マイナス1、2くらいには持ち直してきたような気がした。
これが自分のフラットなのかは定かじゃ無い。
フラットがどこなのかわからなくなってしまった。
多分、本当に季節的な一過性のものなんだ、と言い聞かせた。
ずっと辛い訳ではない。きっと。
そしたら、ちょっとずつ上がってきたような気がした。
上がり過ぎは良くないので経過観察を冷静にしていきたい。
夏になれば変わるのだろう。
世界が明るくなれば変わる。夜が明けて日が昇る頃合いは心持ちスッとする。
楽しい事は先に取っておこう。
待てば待つほど楽しみは増す。
焦らず行く。
寝れる時は寝る。食べれる時は食べる。食べ過ぎは良くない。笑える時は笑う。悲しい時はその悲しみに自分でも寄り添う。なるべく冷静に。
凌いでいけるだけ、ちょっとずつ生きていく。