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山岳遭難の予防と災害の社会性について、リスク評価モデルから考える。


1. リスク評価モデルとは何か


災害リスクを評価するモデルに、「ハザード×暴露×脆弱性」というものがある。次の図に詳しい。

Shoreline protection by the world’s coral reefs: Mapping the benefits to people, assets, and infrastructure - Scientific Figure on ResearchGate. Available from: https://www.researchgate.net/figure/Components-of-risk-Hazard-exposure-and-vulnerability-based-on-the-risk-framework_fig1_363981966 [accessed 24 Oct 2024]

この図が示すのは、災害のRISKは、HAZARDとEXPOSURE、VULNERABILITYの掛け合ったところ、重なり合ったところに発現してくるということだ。Risk=Hazard×Exposure×Vulnerabilityと表現してもいい。

つまり、Risk(危険)は①Hazard(ハザード)、②Exposure(暴露)、③Vulnerability(脆弱性)という3つの変数によって決まるというのだ。

まずは、通例に従い、地震災害のリスクをこの図式で捉えてみよう。例えば、地震災害のリスクを規定する変数として、以下のようなものが考えられる。
第一に、どれだけ規模の大きい地震なのか(マグニチュードや震度の大きさ)。これが①Hazard(ハザード)に当たる。噛み砕いて表せば、「どれだけ強い力が対象にぶつかってくるのか」、ということだ。
第二に、その地震が起きた地域の人口や建物の密集度合いがどれほどか。これが②Exposure(暴露)に当たる。どれほど対象がその外的な力に「晒されているか」と考えればわかりやすいだろうか。
第三に、その地震の影響を受ける対象がどれほど力に対して脆弱か強靭か。これが③Vulnerability(脆弱性)に当たる。古い木造の建築物は地震というインパクトに対し脆弱性が高い、といった具合だ。都市レベルに拡大するなら、社会インフラがどれほどの耐震性を持っているかどうかもこの③Vulnerability(脆弱性)に該当する。

従って、
①対象に対してどれほど強い力が加わり(Hazard/ハザード)
②対象がどれほどその力に晒されて(Exposure/暴露)
③対象がどれほど耐えられるか(Vulnerability/脆弱性)
によって、災害リスクの大小が規定されるということになる。

この3つの概念は日本語訳があまりピッタリとはまっているないように思うので、以下、英単語の方を採用する。


2. 山岳遭難のリスクを評価する


この "Risk=Hazard×Exposure×Vulnerability" の図式は災害リスクを評価するモデルだが、私は山における危険性=遭難のリスクを評価する上でも非常に有用だと考えている。いや、むしろ山に入ったことのある人からするとこちらの方が理解しやすいかもしれない。

山における図式はこうだ。例えば登山中に雨が降ってきたシチュエーションを考えてみよう。どれだけ雨が強く降るかは、まさに「どれだけ強い力が対象にぶつかってくるのか」だから、①Hazardだ。次に、そこが樹林帯なのか、森林限界以上なのか。森林限界を超えている場所で降雨に遭うと、身体が直接雨に晒されるので樹林帯で雨を受けるよりもはるかに危険だ。この差異はまさに②Exposureに当たる。最後に、その登山者がどれほど体力を残しているかどうか。降雨の中でも下山できる体力は残っているのか、それともすでにヘトヘトなのか。この状況を切り抜けられるかどうかは、この登山者の③Vulnerabilityによっても大きく左右される。
図式にまとめると、

登山中の降雨のリスク=①雨の強さ×②雨を受ける場所(雨への晒され具合)×③登山者に残された体力

ということになる。山をやらない人にもなんとなくわかってもらえると思う。



3. 遭難のリスクを減らす


この図式に落とし込むことで見えてくるのは、リスクの大小は①Hazardの大小だけでなく、②Exposureと③Vulnerabilityにも大きく依存しているということである。

私たちは、災害リスクを評価するときにも、登山における遭難リスクを評価するときにも、どうしても①Hazardの強さばかりに目がいってしまう。
今度の台風はどれほど強いのか、マグニチュードはどれほどなのか、雨量はどれくらいなのか、気温がどれほど低くなるのか、などである。
しかし、実際に発現してくるリスクは、私たちの想像以上に②Exposureと③Vulnerabilityによって規定されているのだ。

例えば、山岳の世界では有名なトムラウシの事故。2009年7月、北海道のトムラウシ山で悪天候に見舞われたツアーのパーティー(行動を共にする隊のこと)が遭難し、登山者8名が低体温症で死亡した事故である。悲惨な事故であるが、この事故と同じ日に近くで活動していたパーティーは全員無事に生還しているという。
死亡者が出たパーティーと、無事に下山したパーティーにはどんな違いがあったのだろうか。事故の細かい分析はこの記事では扱わないが、大事なことは生死が決して①Hazardの大きさだけで決まるわけではない、ということだ。
トムラウシ遭難事故当時、寒冷前線の接近で気温は低く、激しい降雨が登山者を襲った。「なぜこんな日に山に入ったのか」という疑問はここでは置いておくとして、こうした①Hazardの大きさが同じでも、遭難事故の裏で無事生還するパーティーが存在していた事実は、実に示唆深い。

自らの登山においても同じことだ。たとえ同じリスクでも、②どれほど危険に晒されるか③どれほど耐えられるかで、結果は大きく左右される。
日程の調整によって危険なタイミングを避ける、などといった対処を除けば、登山者が自分の意思によって①Hazardを操作することはほとんど不可能だ。風や雨の強弱を操れる天気の子は今の登山界にはおそらく誰一人いない。

だから、登山者が意識すべきことは②Exposureと③Vulnerabilityをよりリスクの少ない方向に操作することである。同じHazardでもそれへの晒され度合いが低減するように、耐性が上がるように、準備するのだ。例えば、雨具やゲイター、登山靴の防水性など装備面の準備に精を出すこと。さらには、多少の災難にあっても自力で帰還できる体力や、正しい判断をできるだけの知識、困難な現状を前にしても冷静に次の行動を決定できる決断力を身につけること。こうした丹念な取り組みが、いざHazardに見舞われたときに自分の運命を分つ。

結局は、登山者にとって当たり前であることを記述しているに過ぎないのだが、災害リスクの評価モデルを山岳遭難リスクの評価にも適用できるところや、このモデルが、私たちの意識が向きにくい②Exposureと③Vulnerabilityという変数の重要性を思い出させてくれるところは、なかなか興味深いのではないだろうか。



4. 災害を"社会的不正義"から観察する


ところで、山岳遭難のリスクを減らすために登山者が意識すべきことは、晒され度合いが低減するように、耐性が上がるように、準備することだった。

災害においてはどうだろう。ついついマグニチュードの大きさや降雨量の多さ(=①Hazard)に目が行きがちだが、同じ震度でも、同じ降雨量でも、地域によって受けるリスクは大きく異なる。②Exposureと③Vulnerabilityに目を向ければ、日本の中だけで考えても、無視できない地域差があることに気がつく。
災害リスクを極力減らすためには、晒され度合いが低減するように、耐性が上がるように準備することは当然なはずだ。しかし、その準備の程度には残念ながら大きな格差が存在しているのが現状なのではないだろうか。

東京は災害リスク低減のために、相当な資金を投資されている。一方、能登はどうだろう。東北はどうだろう。どれほどの準備がされていただろうか。「少子高齢化地域」「過疎化地域」。そんな言葉を根拠にして十分なリソースが投じられず、災害への晒され度合いや脆弱性が高いまま、日本社会の中で放置されてきた側面を否定できないのではないだろうか。

これは、災害をめぐる社会的不正義の問題だ。災害は、常時に潜在化していた構造的な格差を露わにする。その地域がどれだけ守られてきたのかどうかを、人間の目下に晒すのだ。

だから、災害のニュースを見て心を痛めても、その理由を①Hazardだけに帰さない思考が大切だ。私たちは、あれほど強い地震が来た、あれほどの大雨が来た、と①Hazardばかりに目が向きがちだが、社会的に規定された②Exposureと③Vulnerabilityが、実際のリスク発現に大きく影響していることを思い出してみるとよいだろう。


お読みいただきありがとうございました。

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