小さくても自己決定を。
次女の学級閉鎖があけた月曜日の朝、
「保育園行きたくない」とごねる末っ子長男。
やっぱりかぁ。
やっぱり行きたくないかぁ。
だって、先週は月曜日だけ保育園に行っただけやもんね。
こたつの中にもぐり込み、大事なミニカーを握りしめ、「行かない」の一点張り。
そら、大人でも、これだけ休んだら行きたくないよ。その気持ちは、よくわかる。だけど、長男よ、保育園に行ってくれー。このままでは、年老いたじーちゃん、ばあちゃんが疲れてしまう。じいちゃん、ばあちゃんも仕事があるんだよ。
こたつにもぐって出てこない末っ子長男にこんな質問をした。
①ひとりで家で留守番する。
②保育園に行く。
二つの選択肢以外に、彼に選択肢はない。
自分の人生だもの、自分で決断して、進んでいくがいい。大人もそうだが、子どもだって、自己決定することが、人生の幸福度につながる。
究極の選択。さぁ、どっち。
こたつからでてきて、「保育園行く」と一言。
さすがに、ひとりで留守番は寂しすぎたらしい。
いつもなら、保育園に行きたくないとごねたときは、無理やり引っ張って、連れて行ったりもしていたのだが、ワンクッション、自分で選択させるようにしてみたのだ。
大人にとったら、まるで冗談のような選択肢に見えるかもしれないが、うちの末っ子長男は、まだそこまで考えられる余地はない。
息子からすれば、「自分で決めてもいい」=「自分が1人の人間として認められていること」だと理解したのだろう。
自己決定することで、自然と責任感もついてくる。親や大人に決められたら、しんどくなった途端、まわりのせいにしてしまう。自分で決めたことは、自分に責任があるということを、小さいうちから経験させておきたい。
だれのせいでもない。自分の人生は自分のもの。ひとつ、ひとつ、自分で悩み、考え、決めていく。それが我が家の子育ての根っこである。
そして、その選択が失敗だったとき、親であるわたしたちがしっかり受けとめてあげること。結果が失敗だったとしても、自分で決めて、チャレンジしたことが何よりも素晴らしいことなんだと言ってあげるのが、わたしたち大人の役割なんだと感じている。
自分の失敗を受け止めてもらえた経験があるからこそ、子どもたちは自分自身を受容できるようになり、やがて他者も受容できるようになるのだと思う。
もし「①ひとりで留守番する」を選んでいたら、母親のわたしはどうしたんだろうか。それこそ、受けとめられたかは定かではない。わたしもまだまだ修行が必要だなーと思いながら、保育園に末っ子長男を送っていった月曜日の朝だった。
今日もお読みいただき、ありがとうございました。こちらも合わせて、読んでいただけると、泣いて喜びます。
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