自転車に乗れるようになった時や、逆上がりが出来るようになった時のように
練習開始から約二ヶ月が経過したいま、アルハンブラの思い出がわりと弾けるようになってきた。自分には弾けないだろうと思っていた曲。
40代半ばに差し掛かり、集中力や記憶力に期待を持てないと思っていたけれど、短時間でも毎日練習を欠かさなければ、それなりに上達するものだ。取り組む前から無理だと決めつけず、新しいことを習得しつつある自分に感心した。
当初は毎日5分間練習するつもりだったけど、5分間はあっという間に過ぎてしまい、大体15~30分間くらい練習に時間を費やしている。
曲の練習に入る前に、メトロノームに合わせて基礎練習をやると決め、毎回それを必ず守るようにしている。
すると、始めた頃はまったく出来る気がしかなったことが、ある時を境に急に出来るようになってくる。
小さな変化や停滞を繰り返す中で、いきなり階段を数段飛ばしで駆け上がっていくような感覚。
この感覚に既視感を覚え、それが何だったのかと考えてみる。
そこで思い出したのが、自転車に乗る練習をしている時のことだった。
幼稚園に通っていた5,6歳の頃だったと思う。
補助輪を外した自転車に乗りたくて、朝早くから日が暮れるまでひたすら練習を繰り返していた。
何度やってみても乗れそうで乗れない。
数えきれないくらい何度も派手にこけて、夕暮れの中、アスファルトに尻もちをつき、膝から流れている血を眺めていた時の映像を今でもわりと鮮明に思い出せる。そして、周囲には誰もいなかったことも覚えている。
そんな練習をどれくらいの期間やっていたのかは覚えていないのだけど、突然、なにかがカチッとハマるような瞬間がやってくる。
正確には、もしかして今乗れてた?くらいの曖昧な感覚ではあるのだけど、そこから先はトントン拍子に進み、今まで感じていた難しさが嘘だったかのように、あっという間に乗れるようになった。
逆上がりが出来るようになった時の感覚ともよく似ている。
数えきれない失敗を繰り返すなかで、あるとき何かが急に変化するような感覚。
思えば、このような感覚に触れる機会から遠ざかってから随分と久しい。
社会人になってから20年以上が経過し、何か新しいことを始めようと思って取り組んでみても、なかなか続かない。
ちょっとだけやってみた結果、早い段階で出来そうもないと判断して見切りをつける。
自転車や逆上がりの頃と何が違うのか。
それは、気持ちの部分がまったく違うのだと思った。
誰かに強要されているわけでもなく、ただただ出来るようになりたいという強い気持ちがあったからこそ、時間も忘れて無我夢中で練習を続けることが出来たのだろう。
年齢を重ね、子供の頃と同じような熱量に戻れるとは思ってはいないけれど、やめずに続けるということに関しては今でも出来る。
気持ちのコントロールは出来なくとも、行動することは自分の意思ひとつでどうにでもなる。
そして続けてさえいれば、否が応でも必ず小さな変化は起きる。
そんな基本的ではあるが忘れてしまいがちな大切な事を、今回のアルハンブラの思い出の練習を通じて思い出すことが出来た。
ときには停滞することもあるけれど、それも含めて毎日やっていると必ず変化は起こる。
これから先、また新たなことに取り組むようなことがあれば、自転車に乗れた時や、逆上がりができた時と同じような感覚を思い出してみようと思う。
こんな記事を書いていると、アルハンブラの思い出をさぞかし上手に演奏出来るようになったかのように見えるかもしれないが、決してそんなことはなく、まだまだ練習は続いている。