音読をボイスメモに録る

続ける思考で得られた知見を、さらに深く自分の中に取り込んでみたいと思い、どうすれば出来そうか考えてみた。

最初は写経のように、本を丸々全部書き写すこと(タイピング)をしようかと思ったけど、この方法は他の文章でも結構やってみたことがあり、著者の文体の特徴を掴むためには有効な方法だけど、内容そのものについては入ってきづらいと感じていた。

タイピングではなく、アナログで紙に書き写す行為だとまた少し違ってくるのかもしれないけど、他の方法はないかと考えてみた。

「続ける思考」は読み易い部類の本に入ると思う。
行間が多くとってあり、読むスピードが遅い自分でも比較的短時間でストレスなく読み終えることが出来る。
だけど、それは決して内容が薄いというわけではなく、本当に必要な言葉だけを残した結果としての形だと感じる。
贅肉を削ぎ落した文章は、ある種の詩的なものにさえ感じた。

音読がいいかもしれない。
小学生の娘が宿題として毎日国語の教科書を読み上げている、あの音読。
思えば自分自身も小学生の頃毎日やっていた。
毎日繰り返し同じ文章を声に出して読むわけだから、しまいには暗記してしまう。暗記してしまうくらい文章が身体に染み込むとは、一体どういう感覚だったのだろう。

最初のページを開き、声に出して読み上げてみる。
特に意識したわけでもないが、淡々且つ、抑揚をつけて読み上げている自分に気付く。そして、文章に対しても目だけで追っていたときとはまた違った印象を受ける。

何よりも意外だったのが、思っていたよりも全然噛まない。
年齢とともに会話中にろれつが回らず噛んでしまうことは日常茶飯ではあるけれど、音読に関しては何故だか妙に流暢に読み上げることが出来る。
そして、続けて読んでもあまりつっかえたりしないので、だんだんと楽しくなってくる。

自分で読み上げた文章を客観的に聴いてみたくなってみたので、スマホのボイスメモ機能で録音してみた。
録音した自分の声を聞くなんて久しぶりだ。
当たり前のことだけど、普段自分の耳に直接入ってくる自分の声との違和感を感じる。
更に、声そのものがなんだか歳をとったなとも感じた。

音読は黙読よりも記憶に定着しやすい、という話を見聞きしてりするけれど、実際のところはどうなんだろう。

目だけで追う黙読と違い、映像と同時に音声を頭で処理しなければならない音読は、負荷が大きい分その時の印象が強く残りそうというのは理屈ではわかるんだけど、今の時点では黙読のほうが記憶に定着し易いと感じている。

読み上げながらだと、声を出す方に気を取られてしまっているせいか、どうも内容が頭に入りづらく感じる。
これは慣れの部分もあるんだろうけど、「こうする方が良い」という見聞きした情報と、自分で実際にやってみた感覚とのズレを感じる。

録音したボイスメモが少し貯まってきたので、運転中にカーステレオで流してみる。もちろん一人で運転しているときだ。

これが案外良い。

普段、運転中はポッドキャストを聴くことが多いのだけど、それと同じ感覚で聴ける。

あえて言うならば、セルフオーディオブックといったところだろうか。

そして、音読して録音している最中にはあまり頭に入ってこなかった内容が、思いの外すんなり入ってくる感覚がある。
最初は違和感があった自分の声にも慣れてきて、これはこれで愛着を持てるような気もする。

音読の録音を習慣化したいと思う反面、家族の目が気になってまだ出来ていないというのがある。
習慣化が楽しくて段々エスカレートしてくると、同居している家族からは白い目で見られたりする事もしばしば。

習慣化を楽しむ上で、そのあたりのバランス感覚も重要だと感じる。


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