「薬屋のひとりごと」考察! 猫猫のオタク的距離感の現代性と少女漫画的快楽原則の古典性! なぜここまで人気作になったかを徹底分析!
こんにちは! 今回は「薬屋のひとりごと」についての感想を話していきたい。二期までアニメを一気見して、正直個人的にはそれほど好みではなかったのだが、人気が出るのは納得したし、色々と分析しがいのある作品だと思った。それでは初めていこう。
まず観ていて思ったのは、この作品は色々な要素が組み合わされて作られているということだ。薬学を使ったミステリーでもあるし、権力争い的な宮廷物でもあり、中国の歴史物でもあり、猫猫と壬氏との関係性は少女マンガ的でもある。このように表面的な味付けは様々なジャンルのミックスになっている。
しかし、今作の核の部分は、すごく普遍的な快楽原則だと思っている。それが特にわかりやすいのは主人公である猫猫の設定だ。猫猫は薬学の知識に精通し、頭も切れる有能な女の子だ。有能にもかかわらず、その能力を使って出世してやろうとか、そういった野心はなく、自分からは物事に積極的に関わろうとはしないのだが、ちょっとした好奇心や壬氏からの命令により、最初はいやいやながらも事件を解決していく。
このように、あまり自分からは出しゃばらず、有能さも隠しているのだが、壬氏をはじめとした、特権階級の人達には一目置かれ認められている。要するに猫猫とは、ある意味で女子中学生の妄想みたいなキャラなのだ。それだけ快楽原則に忠実なキャラという事でもある。
さらに猫猫と壬氏の関係も、少女マンガ的快楽に忠実だ。猫猫と壬氏の関係は、少女マンガでよくある、地味で目立たない女の子がなぜかクラスの王子様的な人気者に気に入られるが、その女の子は全然興味を示さず、余計にその王子くんはその女の子に惹かれるというような、いわゆる「おもしれー女」案件である。
そういう意味では、今作は、昔からある人が気持ちがいいと感じる快楽原則を、昔の中国を舞台にやっているのである。毒殺などのミステリー的な話は、確かにこの時代の中国にしないと成立しないかもしれないが、猫猫と壬氏の関係だけならば、舞台を現代にして、猫猫を学生やOLに置き換えても成立する話しだ。
更に猫猫は実はそこそこいい血筋だという事が判明したり、壬氏のような王子様的な人物に見初められる展開など、もはや昔話しとかに近い気がする。
そういう意味では、今作の核の部分は古典的ですらあるのだが、猫猫の物事(仕事や恋愛)に対し、どこか冷めていて、距離感のある態度はむしろ現代的だと思うのだ。
例えば、現代人は出世や恋愛などに興味がない人だ増えていて、自分の好きな事だけ誰にも邪魔されずやっていたい人が多いと聞いた事がある。しかし、やはり人間だから、少しは他人に認められたいという自己顕示欲もあり、SNSなどでそれを満たそうとするらしい。猫猫はそんな現代的な考え方にすごく合っているキャラだ。壬氏(異性)にも出世にも大して興味もないが、薬学という自分の好きなもの、自分だけの世界(趣味)をもっているオタクである。さらに、自分からは出しゃばらないが、その有能さから他人に頼られ、一部の人間からはその実力を買われ一目置かれている(自己顕示欲も満たされる)。
薬学という自分だけの夢中になれる世界を持ち、出世などの、他人の評価や社会的自己実現には縛られていない。さらに、自分の有能さを認めてくれる人もちゃんといる。まさに現代の理想的な快楽原則に沿って作くられたキャラだと思うし、猫猫に感情移入する人が多いのも納得がいく。
あとは、この「薬屋のひとりごとに」に限らず、なろう系の作品は、ある意味でやっている事がすごくバカらしく見えてしまう事がある。もちろん、そういう部分がなろう系のいい所でもあるのだが、ストーリーや世界観や設定をの完成度を上げる事で、そのバカらしく感じてしまう部分を上手くごまかし、視聴者を気持ちよくさせられるかが大事なのだと感じた。そして、今作はそれがある程度は成功しているからこそこれだけ人気あでているのだとも思う。
僕の感想、分析はこんな所だ。今作の普遍的で古典的ですらある快楽原則的な作りや、猫猫の現代的なオタク的距離感によって、今作は絶妙な作品になっている。三期も始まったらちゃんと追っていきたい。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
ではまた!
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