真のビジョナリーは、理想と現実の両面を併せ見る。特に「最悪の事態」とその対策は考え過ぎて損はない。 困るのは、悪い想像が当たると嫌だからと話題にもせず、一朝事が起きてから狼狽する烏合の衆だ。 https://note.com/daitamesue/n/n7cadd8744b7d
私の家庭は食事の作法にとても厳しい家庭でした。テーブル・マナーも幼い頃から教わり、その後とても役立っています(^^)。個人的に、食事についての精神性に学びを深めて来ました。一重に、喜び、美味しく食事をする事。そこに精神性の根幹があります。
"I'm a Creator." I would like to say that someday.
シンプルに考えるととてもスッキリするものです(^^)。複雑に考えがちな人は、是非、ごく簡単に。そしてeasyに。人生を簡素化して見て見てください。答えもactionも、本当はごく・簡単なことのみです。ごく/簡単な行動のみを繰り返すことのみの中に、本当の思考の神は鎮座されています。
1.”赦し”とは-と、考えて見ます。都合のいい様ですが(-と言うより、都合よく考えるのを避ければ、frustrationがたまり、誰かに当たりたくなる。結果、赦せなくなります。)-「そこにある/在る=Be(ing)している」と、認識した時点で、「赦し/手放しています」。
2.対象化-とは、どんなジャッジよりも辛辣な-「反・同一性」の事なのです。結果、そこにかかるどの様なアプローチを取ろうと、「支配行動」でしかない。と言う事実を見逃さず見ることが出来る人こそ、ホンモノの”覚者(目が覚め/見えている人)と言えましょう。
3.支配行動について、ある有名なコーチにこんな話をされました。”ジャイアンみたいに、『本音』を包み隠し包み隠し---、攻撃性のみに逃げ続ける-『とっちゃん・ガキ大将』”---。辛辣な様ですが、それが事実と申せましょう。
4.一つ本当に-大切で本当に気付いた時は夜中まで腹を抱えてしまった事なのですが、「同一化」した全てとの関係性との距離が保てず「刺激-反応-抑圧-自己爆破→∞」と言う系譜をたどりがちな「冷たく燃える様な人々」の姿を鑑みるにつけ「炎を冷たく燃やす」と言う矛盾の膜の向こうにいます。
5.そう言った方々を見るにつけ、私はまだ、ユーモアたっぷりに分離して=統合して見つめられているからまだマシだなあ。と思った時はまだ気が晴れたものです(もう、20年近く前の20代前半の事でした---)。
ministopと言う言葉聞いて、「そうか、”jumbo-stop”は、AEONなんだな」と、思った事がありました。
外に行くと、インコがせっせと巣作りをしているのを見ました。時折、道路をトコトコと歩いているのも見ます。でも、あまり飛んでいるのを見た事がないのです。そう言えば、鳥って、いつの間にか天国に行って、死ぬ時も姿を隠しますよね。霊長類と違うのは自然そのものな生き様という事なのかな?と…。
仏壇を掃除しました。懐かしい品が沢山出てきて嬉しい限りです(^^)。家族はどの様な人であれ、とても大切な人たちですよね。以前書いた通り、とても上品で気高い性質の人ばかりでした。会うととても中身のある会話が出来ます。こう言う人はなかなかいないんです。ウチに生まれて良かったです^^
人間的指向性の中に愛情の向きの答えがある。与える精神の中に愛情を見出す人は、いかなる場合も、愛情の提供の中に愛を満たすものだ。時にそう言う人々に出会うと、私は心が安らぐ。暖かい霧の中で、補填し・癒すことのみを求めているのが分かるからだ。その全てに恩恵と感謝の念を持つのである。