文体や言葉の硬軟は言うなれば書き手の気持ち次第。何かむつかしい事を背伸びして言おうものなら、その文は急に魔物の抜け殻のように本質のちぎれたものとなる。言葉は一つ一つ吟味して使うが、書き手がどうしても事象を一閃して議論を運びたいときは、文体も険しいものとなり、陰気臭くなってしまう。
諦める事と深追いしない事は微妙に意味合いが異なる。諦めるとは切り捨てる事で、深追いしないとはまた機会が巡ったら追うかもしれない事。受験も気位を、誇りを捨て去り諦めるのではなく、受かる為に深追いはここではしない。ここら辺区別出来ないとメンタル喰われる。
諦めない事を数式化するなら、人格を式に変えるのなら僕の場合係数が相当デカいのだと思ってる。変数に入る数を4倍5倍にして、Yを倍以上にする。その代わり変数がゼロだと、いくらモウティベーション、係数が高くともゼロとなる。だから物事に無頓着になることを恐れているのかもしれない。
辛い事や悲しい事を伝えるとき、本当に悲しいとかガチで辛いとか副詞で強調する必要はないと思う。中身が正確に相手に伝われば、相手はそれとなく推察出来るし、そうでない人にそもそも相談する必要もない。思いとは事実を基に伝える事で、辛く苦しんでる本人が心を痛めてるとき、無理してはいけない。