何もかも、自分ではない何かが結果を招いていると考えても、何ら不都合がないように思われる。自由に何かをしていると自分ではその時思っているかもしれないが、そのように思わされているだけで、本当は自由なんかじゃないのかもしれないのだ。自由とは、責任という概念を生み出すための代物と言える。