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私の護身論 私は、1970年頃、20歳台半ばから、技術論の研究を始め、その契機になったのは、マスコミで、スターのように輝いていた星野芳郎さん(技術評論家)の存在であり、私も、かくありたいと思うようになり、星野さんの「著作集」を吟味し、文章の特徴から論理展開まで真似し、売れる文章の書き方、句読点の打ち方まで真似し、28歳の夏、星野さんに弟子入りすべく、比叡山の麓の修学院南代にある自宅を訪問し、技術評論の方法の手ほどきを受け、流行作家並みになり(二代目技術評論家)、襲撃され、各種の護身術を身につけました

人生におけるいくつかの記憶から(改訂版) 私は、2002年2月12日、「福島県エネルギー政策検討会」(第13回検討会)で、「原子力政策について」と題しての講演、さらに、その数年後の福島県議会で、「プルサーマルについて」と題する講演、福島事故の予言のような厳しい問題提起、「福島県は首都圏ではなく何も分かっていない東北地方」(前者講演)、「放射能の海に溺れながらこんなはずではなかったと後悔してもすでに遅い」(後者講演)

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