文禄4年(1595)7月15日は秀吉に命じられ甥の豊臣秀次が切腹した日。殺生関白と呼ばれ以前は乱行悪行の話が盛られた人物でしたが最近は評価の見直しも。大河ドラマ「真田丸」では秀次が自らを追い込んでいく姿が切なかったです。権力者に都合が悪いと徹底的に貶められるのが歴史でしょうか。
文禄4年(1595)7月15日は秀吉に命じられ甥の豊臣秀次が高野山で切腹した日。伏見へ出頭を命じられるが登城も拝謁も許されず高野山へ向かうことに。切腹の理由は謀反を企てたであるや殺生関白と呼ばれ乱行悪行数々があったなど諸説ある。後に妻妾や子や侍女など数十名が連座して処刑された。