永禄9年(1566)12月29日は家康が松平から徳川に改姓した日。関白近衛前久に相談し先祖に三河守の前例のある藤原氏の系統があるとして朝廷に改姓を認めさせた。三河支配の正当性として従五位下三河守へ叙任されるためという。ここで徳川を名乗るのは家康一人で松平一族や家臣団を統制した。
永禄6年(1563)7月6日は松平元康が実名を「家康」と改めたとされる日。桶狭間合戦の後に岡崎城へ帰還した元康は織田方との抗争を続けた。しかし今川からの支援がなく信長と和睦し今川方と抗争を開始。こうして今川義元からの偏諱である「元」の字を返上して名実ともに今川と絶縁を宣言した。