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【覚書】「三河一揆」の発端(資料集)

1.『三河物語』に見る「三河一向一揆」の発端


『三河物語』の原文を載せ、「三河一向一揆」の解説をしようかと思ったけど、結構長いし、サポートもないので挫折。最初の部分はこんな感じ。

永禄五年壬戌に、野寺の寺内に徒者(ただもの)の有りけるを、酒井雅楽助、押し込みて検断しければ、永禄六年癸亥正月に、各々(おのおの)門徒衆、寄り合ひて、土呂、針崎、野寺、佐々木に取り篭りて、一揆を起こして御敵と成る。其の時の「義昭を薦めて御主と為さん」と云ひければ、其れに乗って、頓(にはかに)て敵に成りて、東条城へ飛び上りて手を出させ給ふ。

大久保忠教『三河物語』

 永禄5年(1562年)、野寺本證寺の寺内町に悪人がいたので、酒井政家が(不入権を犯して)寺内町内に入って逮捕したので、翌・永禄6年(1563年)1月、一向宗のそれぞれの寺の門徒衆が寄り集まり、土呂本宗寺、針崎勝鬘寺、野寺本證寺、佐々木上宮寺に篭って一揆を起こし、松平家康の敵と成った。その時、「吉良義昭を(松平家康に替わる)国主としよう」と言ったので、吉良義昭はその言葉に乗って、突然、松平家康の敵に成って、東条城へ急いで入り、戦いを始めた。


「三河一向一揆」について詳しく知りたい方は、宮城谷昌光氏の小説『三河物語』とか、ゲーム「三河物語〜参州一向争乱記〜」から入るのもよろしいかと。


2.『松平記』に見る「三河一向一揆」の発端

「三河一向一揆」の研究に使われるのは、『三河物語』と『松平記』です。『松平記』は豊橋市図書館本を使うのがいい?

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