つまり、自己を徹底していくと、自己が自己だけで成り立っているわけではないということで、自己そのものへのこだわり、執着を忘れ、忘れていったところに自分の無心、つまりエゴイズムがない自分が出てきます。 そこにふっと自然が映り込んでくるわけです。
意気地と諦念を支えるその自然感覚を見失ってしまった日本人は、諦念に弱く。結果として私たちはこの空気に弱い、そして思考のできない、そんな現代日本人に成り下がってしまったのではないか だからこそ、日本人は意気地と諦念の根に当たる武士道の理想主義と仏教のへ現実性を取り戻す必要がある