愛子様が学習院大学文学部をご卒業された。卒論にも熱心に取り組まれ、指導教員の先生からも粘り強いという最大の賛辞を頂き、学業を修められた。皇室としてのお勤めもありながらも、努力されておられた愛子様のお人柄も卒業式のときでも垣間見え、流石皇室のお方だとその人格の素晴らしさを感じた。
私の筋肉は硬い。つまりあんまり良い筋肉じゃない。良い筋肉というのは、柔らかく伸縮性に富んだバランスの良いものだ。だから、ある程度トレーニングし、筋肉や関節の可動域を拡げなくてはいけないと思う。それには先ずストレッチが要る。又、兎に角股関節も硬い。運動をもっと意識せねば。
平井堅さんの『ノンフィクション』。歌詞の繋がりは若干薄いけど、生きる苦しみや悔しさの表現は伝わる。悲しみに暮れてるときというのは周りが見えなくなるんだけど、レクイエムの如き思いの丈を叫ぶことの尊さは今疲弊してる人達にも届くはずだと思う。私は夢半ばに散っていた友もいるから余計に。
ビブリオバトルではなく、読んで感じた事を大いに自由に呟く事こそ、読後感の満喫と言えるだろう。日本人の読書量が下がっていると騒がれたが、蓋を開けてみれば、今の若者は電子書籍で読書をしていて、本の売上も電子書籍に偏っている。だから書店も縮小する。私は知の集積が止む事はないと信じる。
教育は競い合って、結果で示すのが原理である。負けたって良いし、勝ったところで次の競争がある。プライドを踏みにじられる事もあり得るかもしれない。でも社会の仕組みを振り返ったら、それが教育の持つリアルそのものだ。時に残酷だし、時に人を興奮させる。競争は必ずしも大義ではないが、必要だ。
映画・図書館戦争。原作は有川浩さんのラノベ・図書館戦争から。自分は映画観てから、原作小説手を取ったんだけど、読み始めて最初の2、3ページで止めた。辛くなった。これを時間かけて読むのか?と思って、意気消沈したのだった。ラノベの世界が私にとって合わぬものかもしれない。硬派しか受けぬか
他人様に有能とか中々言えない。後輩に言うのでさえ余程信頼がなければ憚られる。〜さんって有能って言った途端、そう言うあんたはどの立場でそう言ってんの?って思う。尊大な言葉という誹りを免れぬ気さえする。反論として、じゃ他は貴方にとって無能なのね?とも言われかねぬ。ハレーション起こす。
多少の失敗は仕方無いが、コツは続ける事だと言われた。キツい事ばかりのLIFEにちょっとした小噺を下さった先生の事をふと、思い出した。昔の話だが。諦めずしつこく続ける、愚直なスタイルは今自分が目標としてるが、解っているから出来るといったそう単純な物ではない事も思い知った。
山田怜司さんの感想文の動画を観て。個人的には個性的な回答を評価する先生だったから、普段の自分が活きたという事はあった。何となくこういう事書けば良いよね?という共通項みたいな安牌を評価する時流を批判する動画なんだけど、これって先生の判断次第で大きく変わり得ると思うよ。
モスクワのテロ事件の兆候をアメリカの捜査機関が把握していて尚且つロシア当局に伝えていた、という皮肉。米ロって対立してたんじゃないのか?正しくアメリカがロシアの国内のテロリストの動きを把握していたというのは、ロシア当局としては恥ずかしいお話なのでは・・。
人の嫌いな勉強法も一通り試してきた。それでも世界はまだまだ広かった。私も嫌いな科目では、やれる事って限られてるから、日本史には手こずらされた。暗記すればいいんだけど、どこを暗記するかが分りにくい為か、知識が分散されてしまう。物理はこの法則を使ってイレギュラーに対応すりゃいいから。
爪がすぐに割れる。ビタミン足りてないのかも。久しぶりにアプリでラジオ聴いてたら、会社で飲み会に参加するのが嫌だって投稿が番組内であって、そうかもしれないけど、誘われないのもみたいな意見になった。全く、人とは贅沢な生き物じゃき。スマドリとか言うけど、元来強要は赦されんからな。
特別進学クラス、通称・特進で勉強するというのは凄まじいプレッシャーに向き合う訳で、桜木先生も生徒へのケアを保護者にも求めるスクラムを組んだ受験指導を行っていた。ドラゴン桜を見て、卒業していく生徒達は誇りを持って次の旅路へと向かうのだろう。私は桜木先生のような指導者に憧れるな。
ハリポタは不死鳥の騎士団を何度も観てしまう。シリウスとルシウスのバトルや、ダンブルドアとヴォルデモートのバトルも凄まじい迫力でかなり心動かされる。魔法界の命運を賭けた大決戦が魔法省にて行われたのだが、ファッジ大臣は漸く現実を目の当たりにして、帝王の復活を認めた。この辺リアルだな。
世の中の大義を選挙で問うというのは、小泉総理の郵政解散か安倍総理の消費増税先送り解散か、様々な誠意の見せ方があったと思う。でも多くの人が求めてるのは聞く政治でも暖かい政治でもない、必要な事を国民に知らせ、必要な手当をする政治である。国民的議論にならねば素知らぬふりをするのは如何か
サンデル教授の影響なのか、答えの二律背反する問いを好む人が一定数いると最近思うようになった。どっちにする?どっちもこんな犠牲が・と語られるが、実際そんなアンビバレンツなやり取りと向き合う等、原発勤務者くらいなものだろう。庶民とは私も含め好き勝手な意見を言うだけ。当事者以外はね。
学歴自認厨蔓延るネットに答えはないと思う。自分でも気になるんだろな『悪くないかと』と結びの言葉を置く自認厨の意見に落胆するのはバカバカしい。僕は学歴を総括出来る資格を持ってま~すと自己アピを書くくらいでしか、自己の存在証明を出来ない人の意見聞くよか、人の失敗談の方が栄養価高いよ。
プロゲーマーの板ザンさんはザンギエフの中パンに牽制からラッシュまで色んな用途を見出してる。自分はアベルの必殺技の投げの範囲がアップデートで狭まってから格ゲーという種目の厳しさを学んだ。でも板ザンさんはザンギという難しいキャラで諦めず闘ってる。プロの研究は深く早い。
昔強国を誇っていた米国が、自国経済成長のみに邁進するというのは、国際秩序の放棄であり、今までの国際関係を各々の国の富の支出がなければ、反故にするという宣言と見て良いだろう。米国は西側諸国に自己責任論を強調するもので、よりドライなNATOの関係性となると思われる。日本も方向転換を。
コミュ障っていう言葉の無責任さというのは、コミュニケーションが二人以上の人を通して初めて出来るものである事を、一人がコミュニケーションに難あるといって少数を排除していく、差別理論になっている処に現れてる。コミュ障そのものは誰でも持ち合わせてるもので、話題が八割の要因だと思われる。
山崎貴監督、オスカーで視覚効果賞を受賞。これは日本映画の船出であり、出発点であろう功績だ。後進の映画作りに松明の種火を残したもので、日本人として誇らしい。監督の力・技術・スタッフの厚み・予算額の抑制、日本の環境を最大限に活かした匠の業を世界に示して頂いたもので、もっと評価を。
問いに対する答えを用意しないで、白紙の世界を散策させるのは新興宗教とやってる事は変わらない。難問奇問と呼ばれるものも、一応の正解の択を用意しているものだ。問う以上答えに目途をつけ散策済みといった指導力を失くして、他人に問う人はフリーライダーだろって普通に思う。
努力の天才って矛盾してると思ってた。努力しないでスパッと乗り越えるのが天才で、努力は派手さは無いが地道な研鑽積んである時結果を示す。でも違う、一度学部で試験となると、天才が努力しだすので、そして更に平均的な学生も努力に磨きをかけて、大乱戦が始まる。コレが競争かと思い知ったものだ。
日本は今のままでは済まなくなる。何故なら米国の次期大統領候補が極東アジアの平穏に関心を持たない者だからだ。太平洋は米国の内海にするには、マンパワーがかかり過ぎる。ウクライナ危機は弾薬の提供不足が長引く苦境を呼んでいる。自国経済のみに専念する、というのは言うなれば国際社会の責任放棄
高校時代の面白みって文化祭でも体育祭でもない。放課後のゲーセンである。好きに遊ぶ自由さっていうのは、金こそかかるものの、尊いモノたることは明白。勉強の楽しさは高2からだが、格ゲーに関しては小中高と一貫して夢中になれた。一緒にプレーした友人達に感謝である。
悔しくてずっと枕叩いてる日があったけど、一日寝たら悔しさから向上心へと切り換わってるときってあるんだな。やってやろうという前向きな気持ちが気持ちの奥底には眠ってるのではって思う。ストレートにぶつかっていく気概と跳ね飛ばされても負けじと挑む心持があれば、状況は変化する。
信じたい嘘、効かない薬、帰れないさよなら、叫べ叫べ叫べぇ、会いたいだけぇ~。平井堅さんの歌をかけながら昼寝したが、よく寝れる。
表現が好きだから、モノを書く。政治経済が好きだから、意見する。私の好きな作家・真山仁さんの書かれる経済ドラマこそ、私が政経を目指したキッカケだ。唯、学ぶのはテキストだが、見るのは社会そのモノだ。だから単純に政経が好きというのは、若干憚られる感があるのも事実。人の不幸も扱うから。
昨晩遅くに、東北太平洋沖大震災の再現ドラマがNHKで演っていた。今は亡き大杉漣さんの迫真の演技に心打たれた。何より何かと責任転嫁された当該原発管理者たるスタッフの皆さん。当時の官邸や東電本社の人々の混乱による、指揮命令の至らなさ。水蒸気爆発と炉心溶融、所謂メルトダウンの恐怖よ。
二回の消費増税で金融政策の効果が帳消しになったと、当時政策数量学者・高橋洋一が言っておられた。でも当時の茂木議員などは、演説で消費増税がなければ、社会保障の財源確保は出来ないという”脅し”とも取れる主張していたのを記憶してる。消費税の目的税化、というのはフェアでない。Zの主張だが
苦しみから脱却するには、どぶの底であがくのでなく、素直に人に助けを求めるべきだ。尤も、プライドが邪魔をして生きてく障害になるのなら、そんなプライド捨てちまった方が良い。毒まみれでも良いから、誇りなんていいから、生きよう。
ダイ・ハード2を久々に観た。ブルース・ウィリスの吹替の声優さんも好きだが、本人の声も中々好きだ。パイプの中を潜っていくシーンもお馴染みだが、容赦無く相手を倒すこの割切り方よ。正に米国だ。1から続くこのシリーズは全部で5作。特に2と4が好きだね。皆様もご覧ください。
勉強してると見えてくる、初学者の態度の有り方。数量政策学者の高橋洋一先生が素人は幾ら相手にしても余り効果は見込めないから、相手にしないと語られた事がある。最初は私はそれについて何て冷たい人だ、って思ったけど、やはり勉強を自分もするようになると、素人の横着というのが目に付く。
松田聖子さんが中大法学部・通信教育課程を卒業したと発表。紀藤正樹弁護士が素晴らしいとのコメントした訳だが、これで法学部が嘗ての栄光を取り戻せる程事態は簡単ではないだろう。法学士は持っているけど、肝心の法学の知識に軸が通っていない人は大勢いるのではないか。得られる物の大きさが足りぬ
ダメな教え子ほどかわいいもんさ、と言われ当時の少年の私はかわいいと言われ悪い気こそしなかったが。翌々考えたら、接頭語にダメな、と付いてる事にもっと敏感であれば良かったと思い返す。久々に勉強でもするか。論点整理しながら、近くのスタバでラテを楽しむ。悪くないかと。
セカオワのスターライトパレードを聴きながら春到来を祝してる訳だが、花粉症には耐えられぬ。まず鼻水も止まらないし、目が痒くてしょうがない。仕事終わりに、カフェに寄ってカプチーノを頂くのが日課なのだが、面白い事に、毎回そういうときアプリゲームには勝てる。そういうとこで運を使うなと。
英語。どうやったら点が伸びるか、色んな問題集を試した。単語帳から文法問題集、そして長文読解まで。私は英語、という科目がこれ以上に読解という意味で国語と被るのに気付くのに大分遠回りしたような気がする。のめり込む学習法で有効なのは、一日一題長文を読みこなす事。取組みは今日からでも。
私は出来ない事を無理してやろうとする人間だ。だから、其の分疲労の蓄積も著しい。其の為休みの使い方をかなり回復に使う。何より諦めず働くというのは薄く長くやる事だと思ってる。指示待ちせず、積極的に貢献するには、普段のリラックスが第一。やろうか?日本。
たまに失態を思い出す。人に対し礼を失した態度を取った事等、思い返すもでもその失態があったから、多少なりとも大人になれた。モスクワ郊外のテロ、こりゃ大変だ。
土曜の朝にて。目覚めの水を一杯頂戴して、過去問を読もうとしたがよくよく考えたらこれから出かけるので呟く。最近気になるのは人喰いバクテリアと地震である。疫病と地震が同時に襲ってきたとき、我が国の医療機関は今のままでは対応は難しいだろう。余り心配し過ぎてもダメだが、予測はした方が。
今年のSFLはどうなるのかが、全く読めない。FAVゲーミングからときどさんが抜ける。そもそもウメさんが参加するかも判らないし、戦力が拡散して勝負が拮抗するみたいな流れだと緊張感も増す感じだね。でも今後またSFLを通して、大物の若手が出てくると思えば、非常に楽しみ。
スト6が思った以上に盛り上がっている。各所にて大会が開かれ、多くのプレイヤーが腕を競い合い、名を挙げている。特にゆゆうたさんのモダンマリーザに何とあのマゴさんまでも注目していたのが、度肝抜かれた。今回6では操作方法が従来のクラシックかワンボタンのモダンかを選べ、バトルがより公平に
環境に感謝する事が大人になってから少なくなっていったという意見をあるとき拝聴した。その人自身、まだ若いけど学生の頃より今の方が一人ひとりが勝手に動いていてろくなコミュもせず、困る事が多いと思われたようだ。私自身、人を見て思うのは、先ず挨拶から始めないと失敗する事が多くなる事かな。
大地震の脅威はたえず覚悟してる。日本の何処に居ても安全とは言い切れない。避難場所を決め、食料やバッテリーを準備して尚且つ財産の管理もせねばならない。東北太平洋沖大地震や能登大地震、多くの脅威に見舞われた我が国の震災は、最大の課題であると言わねばなるまい。
教育に関心ある学生は多いと聞く。教職を目指して教職課程の履修をする人達は最近では予備校で学ぶという。私は因みに教育のきの字も関心ない。先生という立場で教えるのは、子供達の規則順守といった管理者のお話だ。殊日本において、子供達を規則で管理する割に、個々の創意工夫唱える矛盾よ。
他人様の意見に一喜一憂するのは、普通だけど評価ってのは他者性を帯びた客観的な代物であるから、前向きに捉えるのが最適だと思う。私は言葉の数々に影響も受けたが、特に厳しい努力に裏打された経験は悪口にもビクともしない鋼鉄の土台になる。強烈な経験は残るものだ。
ダイハード4.0。面白くて何回も観てしまう。ブルースウィリス自体あまり評判のよろしくない俳優だが、彼の演じるジョン・マクレーンは人を惹きつける何かがある。ハリポタ死の秘宝パート2もヴォルデモート卿とハリーの最後の決闘も心揺さぶられる内容だ。何度も観ても飽きがこない。すんばらしい。
正解の無い問を今考えて納得いく解を出させようとする行為は、教育として完成していないと思う。そういうオーダーそのものが圧力であり、それで成績を出すというのは、始めから教育の観点から問を出していない。貴方は、何を測ろうとしてるのか?答の有無を問いただしたい。フェアじゃない、そんなん。
大受落ちた人は落ち込む度合いを自分だけの基準で決めない方が良い。現役でしくった事をいくら責めたって、過去は過去。受かった人は戦略とか時間とか好き勝手な事を言う。でも大受で求められてるのは、問題との対話力であってそれを過去問分析でこなしていく。諦めずに取り組む姿勢こそ評価に値する。
細かな時間だけでゲームするのは退屈しなくていい。