永禄7年(1564)7月23日は太田資正が息子により岩付(岩槻)城から追われた日。資正は太田道灌の曾孫で河越夜戦で主君上杉朝定が討死し扇谷上杉氏が滅亡後も北条氏と戦った。一時的に北条に降るが上杉謙信の関東侵攻で再び反北条となる。北条氏康の娘を妻とし親北条だった息子氏資に叛かれた。