南関東の石造物⑯:芳林寺宝篋印塔(太田氏資の墓)
名称:芳林寺宝篋印塔
伝承など:太田氏資の墓
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区本町 芳林寺
岩槻城(岩付城)は戦国期には太田氏の居城となり、太田資正は関東管領上杉方の有力武将として小田原の北条氏と争ったが、その子・太田氏資は父の資正を追放し、以降氏資は北条方の武将として活躍した。
氏資はその後、上総三船山の戦いで北条氏が里見氏に大敗した際に戦死したが、その墓塔である宝篋印塔が、岩槻城下の芳林寺に残っている。
現在宝篋印塔は墓地内にある覆屋に納められており、完形の塔で基礎には氏資の没年である永禄十一年銘がある。
武蔵地方における戦国時代後期の宝篋印塔の基準作と言うべき石塔である。
なお、氏資の墓の隣には、江戸時代初期に岩槻の領主となった高力清長の墓もある(二枚目)。