当たり前の環境に感謝しなきゃという事をよく説教として示唆されるんだけど、と考えると自分もその当たり前の環境に適合してるんだよな、協力出来てるんだよなって毎回脳内反論として思いつくのだが、言ってみた試しはない。誰にとって最善で誰にとって不満かまでそこまで把握しろって、鬱だよんなん。
諦める事を責める事はしたくない。というかそんな資格ある人ってのは限られている。少なくとも人生の節目節目を目の当たりにしてきた人が、いざ他人の人生を眺めるときに、そんな上段構えの発想でコメントを残すべきでない。自分が出来なかった事を他人に強いるのも、極力控えた方が良い。