「世間虚仮 唯仏是真」(聖徳太子) この世はバーチャルの世界。 それを肌で感じることができた時、悟りの扉が開く。しかし「唯仏是真」この言葉の人間臭さに、聖徳太子は悟りの扉を開くことが出来なかったのではなかろうか。
暁の寺は路地を予見した様な内容に成ってる。 続く基点。 重責を担う完全無欠の個人。 生きる矛盾と死の落ち着きと、肉体に哀切なリアリティを求める所。 近い存在のコンフリクト。 見届ける人と若さを爆発させる人。 夕方へとなって眠る死生観の惰性よりか夭逝をする若さ重視系の価値観の真相。
来週の月曜日に、「999」に乗るよう、メーテルからパスを渡されたので。来週から約10日間。アンドロメダに行くため、「新規投稿」はおやすみいたします。なお、スキ、コメントはいたしますのでご容赦ください。