宗教や信仰についての雑記 #92
◯世間虚仮②
先日の投稿(#65)で「世間虚仮」ということについて書きましたが、最近になって少し考えが変わってきました。
世の中には「虚仮」のようなことが非常に多いのですが、神仏(何か大いなるもの)はそんな世の中の人や物事を通して我々に働きかけてくるならば、世の中の「虚仮」は実は「虚仮」ではないのではないか、そんな気がしてきたのです。
世の中のいたるところにある、なんの意味もない虚仮のようなものにも、実は我々の気付かない大きな意味が隠されているのではないか、そんな感覚です。
もしかしたら、いま世界に存在する虚仮と思えるような事柄は、それを虚仮でなくせと、我々に与えられた課題なのかもしれません。
その課題を成し遂げることで我々が成長することを、神仏は求めているようにも思えます。
ですから、「世間なんて所詮虚仮なものだ」みたいなシニカルな態度をとって世界を否定的に捉えたり、そこから逃げたしたりするのは間違いなのかもしれません。
でもそうだからと言って、明らかに虚仮なものを無批判に肯定するのも違うように思えます。
虚仮なものをすべて否定し、否定し尽くしたところで再び肯定的な視点へと戻って来る、そんな行程が必要な気がします。
「世間虚仮 唯仏是真」という言葉の「唯仏是真」というところに、そんな世界を肯定する視点への回帰が含まれているようにも思えるのです。