今思えば、祖母の認知症がグンと進行した時期がある。 ・祖父の死 ・引っ越し 祖父は「おい」の一言で祖母を呼び、1人では食事も始められない様な人だった。 生き甲斐だった夫の世話がなくなり、住み慣れた木造家屋が無くなった時から、祖母は三世帯住宅の中で、ずっと孤独だったのかもしれない。