社会や集団として考えると人生は思っている以上に長い。でも個人として人生を考えると想像以上に短い。
10代のうちは色々尖った考え方を持った方がいいと思います。 尖らなければ削れないので。尖って丸くなる。色々考えたらまた別のところが尖って、それが削れてを繰り返す。このプロセスが大事だと気づいたし今振り返ると面白いなぁと思います。 そう考えると好きなことをするって1番尖れるかも。
「くだらない」を疎かにしちゃいけません。「くだらない」をやめるのももったいないです。生きることには「くだらない」が必要なんです。
グッドモーニング仙台。 夜と朝を跨いだ僕は昨日と今日を同時に生きている。
嫌いな人のために生きちゃダメ。最終的に自分を好いてくれる人のために生きると心に誓って。あたなの人生は紛れもなくあなたのものだ。だけど人生の数パーセントは自分を好いてくれる他人がギュッと握って離さないことも忘れないで。
将来、服屋さんをやりたいなぁと思ってる。ユニセックスを中心にした服屋さん。 僕は身長が低いので常に服について考える。色々考えた結果、共通規格が時代的にも、身長等で悩んでいる人にもいいと思った。優しい服を、できれば東北から発信したいと常々思っています。
最近、社会で多様性を意識しすぎると寛容さが少なくなることに気づいた。平等と多様性が同一軸で語られている感じがする。
何者にもなれて、何者になれるか見えすぎて何者なのか分からなくなる。何者にもなれそうにないことに気づいて自分になっていたことに気づく。
「賢く生きろ」って本当に必要あるのだろうかと。本来なら「搾取されないように生きろ」とか「世渡り上手になれ」が必要だと思うわけ。
見えないものを見ようとしてる方が平和なんだよ、きっと。
暇というのは実は暇というコンテンツを楽しんでるだけなんじゃないかと。
行き過ぎた熱狂は本質を隠してしまう。
正義は正義という基準があるからこそ成り立っている。つまり正義という基準が無くなれば悪の基準もなくなる。世論が正義を疑い、一瞬の悪の正当性に気づけば正義の味方は一瞬にして悪になる。
僕の思い描いていた大学生活と違うと思ってたけどそもそもまともに思い描いたこと無かったし理想がなんだっかも忘れた。 2020年11月20日のメモより。
否応なしに現れる不安は今ある小さな達成感と優越感で紛らわす。そんな日々を日常と呼び心を落ち着かせる。