『青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会』再々再読中。 やっぱり、一連の出来事を私が「あれは被害だった」「本当は嫌だったのに望んでいるかのように思わされた」と"認め"なければこのまま不愉快な同情をあびながら矯正すべき対象としてみなされつづけるかもしれない。プレッシャーがある。