「“こだわりがない”のがこだわり」――個性の塊みたいな私も、なぜか絵に関してはそういう部分がある。特に委託や企画協力など「人から任される」仕事については、オリジナリティを尊重し「己を消す」のが信条だ。 プライドがない文章|林伸次 https://note.com/bar_bossa/n/n777bf74cbd94
クリエイターやアーティストが自我や個性を出そうが、趣味や娯楽があろうが、それは別に構わない。 でも他人の作品や仕事を手伝ったら、その瞬間に「お前の作品ではない」。 だから自分の個性を消し、他人の作風に寄せていく――「黒子に徹する」とはそういうことだ。真の黒子は芯がブレない。
作家自身がネタも金も出す分には、誰にも文句を言われる筋合いはない。しかし他人のネタと金で仕事をするなら、あえて「自分を出さない」のがクリエイターとしての矜持だ。 もちろん「面白くなるようにアイデアを出す」のはいい。でもそれには作品や作者に対する知悉や深い洞察を有することが前提だ。
近年は機材の低価格化が進んで「現場の下積みからの叩き上げ」を経験しない映像作家が増えている。彼らは一人で何でも作ってしまうので個性が強く、実際に自身の「作家性」について語る場面も多い。 でも、他人の金や原作の世話になっている立場でそれを言ってはいけない。お前らはゴダール気取りか!
「お前の作るものなんか、ただの汚物だ!」 表現者なら一度は投げかけられたであろうこの言葉。 でも、作品なんて大家も含めておしなべて汚物で「然るべき」で、 死んで肥やしになる頃になって初めて評価に値するし、 むしろ「汚物ですらないもの」が作品面していることの方が問題と思う。
売れない作家が売れない理由は、 売れたら最後、自分にとって終わった物語を「作風」として求められ、 死ぬまで無限ループで作る地獄に耐えられないって、 売れた作家の背中を見て、気づいているからだと思ったりする。 自分の贋作を作り続けるくらいなら、売れない方ががマシ…なんてね。