おとなになって「関係ない」とか「どうでもいい」という表現がおそろしくなってきた。生きて他者と相互に干渉する以上「関係はある」し、どうでもいいと乱暴に物事を扱うのは、価値あるものが変化した姿を「瓦礫」と見做すのに似てはばかられる。それは「わたしは関心がない」ということだとおもう。
「ものごとを、少なくとも2つのちがう表現であらわしてみる」のは、自分のクセなんじゃないかと思う。だから何ってこともないのだけれど。たまに、歯軋りして不思議な考え方を喧伝する人がいるけれど、そこに引っかからないのは、こういうクセがあるからのような気がする。気がするだけ。知らんけど。