それが7月5日かどうかは分からないけど 2025年の途中までで この世は終わってますね 1月1日から始まっても 12月31日まで無い感じ 自説を広めることに興味は無いけど 潜在意識が既にその見方だから この世が継続する前提で行動することは あたしにはもぅできない あと500日💥
SNS見る時間が大幅に減った LGBT関連の話題もチェックしてない この世そのもの幻想でしかないのに この世、のなかにある、ネット、のなかにある誰かの記事に真実などあるはずもない この世という虚偽はもぅいらない 真実はどぅせ言葉にはならない この世からの離脱は人間からは学べない
アセンションとか次元上昇とかいうのも 最近では面倒くさくなって ようするにこの世から離脱できれば それで良くない?? 宇宙があって地球があって両親がいてそこに自分が生まれた、という構図のなかにいる人は死ぬのは怖いだろうけど そんな子ども騙しにかからなくなれば この世はただのゴミ
LGBT当事者としては非常に珍しいでしょうが、わたしは知らない人とケンカするのは平気どころか好戦的で、だれかオカマ呼わばりしてこねーかなーとか思ってる むかしは相手いくらでもいたのに パス度上がりすぎて後ろ指さされなくなったし、マスク警察も最近いない 人類ぜんぶ滅びればいいのに!
新しい会社すごく居心地良い 前の会社がブラックすぎて生活困窮 この先の人生を考えなくてはと思ったが 生活再建は同業他社への移籍だけで完了 困窮しなくなった! じゃあこれから何をしようか? 何も無い 原稿書くのも歌を歌うのも 続けるけど 未来へのビジョンとか展望とか 皆無すぎて死
ニンゲンが気持ち悪い この世が気持ち悪い 人類が気持ち悪い この、気持ち悪いという感覚だけは ほんとうにどうにもならない 自分の人生が成功したって関係ないんだ この世そのもの、人類そのものがあまりにも気持ち悪すぎて、一刻も早く縁を切りたいと願わずにはいられないのがわたしの日常。
人間に愛など存在しうるのだろうか、野蛮な生殖本能に引き摺られて、性欲と愛を混同しているだけではないのか? 性欲を直視できないから 性欲を向ける対象が男か女かを いちいち男がすき女がすきと言い換え 愛のなさを誤魔化しては しあわせなど存在しないのに 結婚こそしあわせだとすり替えて
心は女性、みたいな言い方は大嫌いだ 心と身体は別の存在だとすれば わたしという心は この世そのものを嫌悪して 肉体に宿ることを嫌悪する それにもかかわらずわたしには なぜか女体が好きという側面があり 知ってか知らずか 身体は自分自身を女性化させて 『女ならここにいます』と言った
地球は檻では無くなって 人類は解放されているのなら あたしはこの世から出ていきたい 『自分の姿を認識されるのがイヤ』 『発語による会話がイヤ』 『物理空間を連続的に移動しなければならない(瞬間移動できない)のがイヤ』 『できれば誰にも会いたくない』 あきらかにこの世には向いてない
自殺などせずとも 死を介さずとも この世から出ていけることが わかってしまった 人類はただの家畜で 地上は単なる地獄 キモチ悪いニンゲンどもと これ以上いっしょにいたくないから この世界に未練なんて一切ない タテヨコ高さの物質界に ほんのちいさな綻びが出来た瞬間 わたしは去る
松村先生の新作noteを読んだ。 この世から出ていきたい、という願望は極めて健全。血縁を切って天涯孤独なのもその準備であると言える。 わたしには愛する女性がいて、この世で彼女と結ばれるかはわからないが、異世界では既知感しかない分かりきった仲だったりする。じつは彼女が脱出口なのか?
カバラ生命の樹の枝葉にタロットカード大アルカナを充てるとき 最後のカード:21世界は 最下部のイエソド-マルクト間に置かれる。 イエソド=エーテル界と マルクト=物質界を 直結させることが 『最後のカード』に相当するなら 人間個人は 感情体と肉体の一体化こそ最終達成なのでは??
松村先生のいうとおり 地球は12個あるなら この地球から出ていけないのは ほんとうにおかしなこと たったひとつの地球、 すなわち乙女座地球から 立ち去ろう! 自殺とはまったく異なる形で この世から去る方法を 研究しようと思う 生きたままこの世界を去った者なら 今までも多くいた
主人/従者/馬/馬車 というスーフィズムに由来する理論では 馬は感情、馬車は肉体。 馬車=肉体ではなく 馬=感情の扱い方を優先的に学ぶべき。 という趣旨の教えだが、 馬=感情を『まるで身体のように』扱えるようになると、最終的に馬と馬車は一体化する。感情体が肉体に宿る。魂ではなく。