⑬仕事では理性的・合理的な判断と、効率的な行動が求められる。感情的な言動は、時に、パワハラにもつながる。冷静な判断を狂わせ、憎しみ・遺恨を残す時がある。感情は仕事の邪魔なのか?。 この世から感情が無くなったらどんな世界になるんだろう。‥理想なのか?考えてみたい。
理想と現実の狭間で葛藤し、それでも前に進もうとする人の姿を見た時、心を揺さぶられる。自身の不完全さを受け入れ、無力感と向き合い、それでも泥臭く前に進もうとする姿に、共感し勇気をもらえる。みんな伸びしろだらけだ!こぐまパパも自分で決めた山に、自分の足で登る!自分自身のために。
人の価値観は、経験や環境によって、常に変化し続ける。大切にしていた価値観が変われば、「本当にやりたいこと」も、変わって当然。新たな人との出会い、新しい経験、変化・成長の途中で常に変わっていくものなんだな。そっか、難しく考える必要なんてなかったのか。
⑯もしこの世から感情が無くなったら【3】家族や、友人との絆も、薄れ、人はただ、機械的に生活するようになる。喜びや悲しみを分かち合うこともなくなり、人間関係は、単なる情報のやり取りや、仕事上の契約関係のみとなる。
⑮もしこの世から感情が無くなったら【2】社会全体としては、無駄や非効率な行動が排除され、あらゆるシステムが最適化され、よりスムーズに機能するようになる。感情が無くなれば、他者への共感、愛情といった感情も無くなり、互いに、無関心になる。
⑭もしこの世から感情が無くなったら【1】人は、喜び、悲しみ、怒り、恐れといった、あらゆる感情に左右されることなく、常に、論理的、合理的に行動するようになる。仕事においては、感情的な対立や、個人的な好き嫌いがなくなり、常に、効率的な方法が選択され、生産性は飛躍的に向上する。
⑫「感情」は、必ずしも、有益なものではなく、むしろ、害悪を及ぼす存在なのでは?と思う時がある。こぐまパパは中間管理職。もし、自分もみんなも、感情を完全に排除することができれば、より冷静に判断し、より合理的・効率的に目標達成できるのでは?…と考えてしまう時がある。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑪。感情は単純・単一のものだけでなく、複数の感情が、複雑に絡み合って、しかもいつも変化し続ける。『ポジティブ・ネガティブな感情』、『能動的・受動的な感情』、『道徳的・非道徳的な感情』、『きれいな感情・汚い感情』・。薬にも毒にもなる。取り扱いが難しい。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑩。感情を完全に消し去れば、人間的な魅力を失ってしまう。でも感情に振り回され、冷静な判断を失ったり、落胆・絶望で無気力状態になることも経験済み。恐怖や不安という感情は、自身の行動を鈍らせ、自己成長を妨げてしまうこともある。・・どう付き合う?
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑨。「どんな時でも」心の平穏を保つことなど、現実的には不可能だろう。人はいろいろな感情に影響されながら、生きているから。喜び、悲しみ、怒り、不安、後悔、絶望、孤独、恐怖、屈辱‥等。感情を完全に消すことは、不可能。また、無くすことは健全じゃない。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑧。「成長・変化」と「心の平穏」は、一見すると相反する関係。「成長」や「変化」を、苦行のように捉えるのではなく、遊び心を持って楽しめれば、「心の平穏」と両立できる?「成長」は自己の可能性を広げるチャンス、「変化」は新しい発見や出会いのチャンス?
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑥。こぐまパパは「自己成長」したい気持ちが強い一方、無理をしすぎて、心身のバランスを崩してしまうこともあった。だから、「成長・変化」と「心の平穏」を両立させたいと思っている…両立は、本当に可能なのだろうか?。今日も、問い続ける。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅⑤。「成長」と「変化」は、決して切り離すことのできない、互いに影響しあい、高め合う関係。変化を恐れるのではなく、積極的に新しい環境や、状況に身を置くことで、自己成長を加速出来ると思っている。でも一方で、「心の平穏」も大切にしたい・・と思ってる。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅④。変化を恐れては、成長は望めない。でも現実の厳しさや、苦難を前にして、常に変化を楽しむなんて無理だ!と感じる時も、正直、たくさんある。・・・でも「成長」と「変化」を、過去の失敗から学び、未来へ向かう原動力となる『心の糧(かて)』にしていきたい。
こぐまパパ自身の羅針盤を探す旅③。こぐまパパは、安定した環境を好み、変化を恐れる一面がある。一方で、今の現状に満足せず、「自己成長」への思いが強い。常に、進化し続けたいと変化を求める気持ちも強く持っている。葛藤を感じるからこそ、変化と成長を楽しみたい。・・・楽しむ、、、。
こぐまパパ自身の羅針盤(最上位概念)を探す旅②。「生きがい」について。「生きがい」は人生の軸のようなもの。生きる意味、自分の存在意義につながるもの。「大切な人(妻・娘)との心の繋がり、大切な人の役に立つこと」。心と心が通じ合う、深い関係。支え合える、共感し合える温かい関係。
こぐまパパ自身の羅針盤(最上位概念)を探す旅①。「やりがい」について。それは、「自分の成長を実感できること」・・心の奥底から湧き上がる、最高の快感だ。成長につながるなら、困難も厭わない。目的までのプロセスを自分の手で最適化したり、無駄をなくし、効率的にすることにワクワクする。
自分の行動を決定づける、最重要な羅針盤が言語化出来れば、迷った時に、羅針盤に立ち戻ることで、心の声が示す、本当に進むべき道を選ぶことができる。言葉にする過程で、今まで見えなかった大切な価値観・人生の目的を、より深く理解することができる。だから、こぐまパパ、言語化してみる。
じゃあ、こぐまパパの行動を決定づける、最重要な羅針盤とは何なのか?・・・せっかくいただいたこの命、やりがい、生きがいをもって、悔いなく、充実して、幸せを掴みたいと思っている。・・でもこれって抽象的で、曖昧すぎ?・・今、すべきことは、具体的に何なのか?
「本当にやりたいこと」は、あくまでより幸せに生きるための、一つのツールに過ぎない。大切なのは、それが自身の心の声と同じであること。心の羅針盤と同じ方向に進んでいること。だからこそ、自分との対話が大切なんだな。…あなた自身の心の声に、耳を澄ませてみて。
「本当にやりたいこと」は、社会的に価値のあることや大きな貢献につながるものだけではない。また、常に一つにしぼる必要もない。人の価値観や興味、情熱を傾けるものは、年齢や経験によって変化していく。・・ならば「本当にやりたいこと」は、変化していくものなのか・。ずっと探していたのに・・。
一回きりのこの人生、悔いなく、充実して、幸せになるには、「本当にやりたいこと」の追及だけで十分なのだろうか?「本当にやりたいこと」とは、何かを成し遂げたい、達成したい、という承認欲求や、自己顕示欲からくる目標や目的のようなものかも・・。幸せになることと、本当にやりたいことは別物?
なぜ、こぐまパパは「本当にやりたいこと」にこだわる?・・それを見つければ、一回きりのこの人生、悔いなく、充実して、幸せになれるのではないか、「本当にやりたいこと」は、自分の人生の羅針盤となり、進むべき道を示してくれると期待しているから。偏ってるかも?・・あなたはどう思う?
若い頃に抱いた「本当にやりたいこと」は、真実だったのか?経験不足や視野の狭さ、未熟な価値観からくる表面的な憧れ、社会的な価値観に影響された、幻想に近いものだったのかも・・。「本当にやりたいことは何?」の安易な問いかけは、時に、進路やキャリアに悩む若い人を苦しめていないだろうか?
人生は選択の連続。迷い、信じたものが崩れる時も。それでも大丈夫!正解のない問題に向き合い、自分なりに答えを出す。全部ひっくるめて人生の醍醐味。さあ、一歩踏み出そう!試行錯誤しながら、自分の道を歩いていくあなたを応援する。自分の意思で進んで、手ごたえをつかんでほしい。
誰かに指示されたことではなく、今の自分には少し高い壁に、手を伸ばす時、ワクワクする。ちょっと難しい挑戦って楽しい。こぐまパパも挑戦者!自分の意志で進むあなたを、心から応援する!生きてるから、挑戦できるんだ!