◆なぜ対抗する通奏低音が必要となるのか(対抗は二項とは限らない)。それは、生きているこの世界が仮現実であり、流動する複雑な事物を鋭くつかみ、豊かに認識表現するためには、一様な接近方法ではとても迫り切れないからである。優れた文学にポリフォニー性が共通してみられる理由がここにある。
◆仮現実の一側面.ハムレットが言う。アレグザンダ大王の亡骸が土塊となって粘土と化しそれがビール樽の栓となる(シェイクスピア/福田恆存訳『ハムレット』190頁)。人は仮に和合している今を固定してそれを現実と捉えている。実際は捉えようした瞬間にはすでに対象は認識をすり抜けている。
◆取り巻く世界現実が人に迫り、人がこれを認識して意味を与え返す。客観事物と意味の混在という点ではこれを「複合現実」と呼び、現実認識の裁ち直し、意味の新編成を行う可能性という点ではこれを「仮現実」と呼ぶことができるだろう。
◆現実とは厳密には仮現実(かげんじつ)である。これには、狭義の現実と仮構現実があるが、程度差によってグラデーションを成している。現実の対極に虚構があるが、仮構現実とは程度差のグラデーションを作る。つまり、他者との共約性・普遍性の程度差として、これらすべては同一平面上に並ぶ。
◆仮現実(かげんじつ)(1)言葉という仮分節認識体系により対象を捉えるのであるから、世界は仮現実と表現すべきものである。仮であっても「現実」であるから通り抜けようとしてもぶつかる何かがある。しかし「仮」であるから現実認識の裁ち直しが可能となる。ここに人間の自由なる生の基礎がある。