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今、向かうべき目標を失ってしまった人へ

コロナウイルスによって、様々なスポーツ活動が制限されています。東京オリンピックのように延期になってしまったならばまだ望みはあるかもしれません。先日、高校総体や全中の中止が発表され、若いアスリートの皆さんが活躍する機会が一つ減ってしまいました。

出場する予定だった当人達の悔しさや悲しみは、当人達だけにしか本当の意味で知ることはできないのと感じます。なぜなら2020年の高校総体、全中というのは一度しかやってこないからです。特に「高校最後」「中学最後」の節目になったであろう選手達にとっては受け止め難いことだとも思います。

一方で、開催者側も苦渋の決断だったはずです。長い歴史の中で中止の決断がされたのは今回が初めてとすると、きっと開催者側も選手たちの活躍の場をなんとかして守ろうとしていたと思います。ただ、人の命がかかっているとなるとこれを小事とすることはできません。

世界中が大変な状況に置かれている中、仕方がないと言ってしまうことは簡単かもしれません。しかし頭では納得できても、今の悲しみや悔しさがなくなるわけではないでしょう。理屈では気持ちは変わりません。だからこそ、今感じている自分の気持ちを大切にしていただきたいと思っています。

目標をなくしてしまう経験に感じたこと

自分の話で恐縮ですが、ちょっとだけ昔話にお付き合いいただきたい。

私は高校時代に陸上競技をしていました。特別記録が良かったわけでもありませんでしたが、当時は一生懸命練習していたと思いますし、高校総体予選に向けてなんとかいい記録を残そうと思っていました。

しかしその予選の一週間前、最後の調整として競技場でスタートの練習をしていた時、とある瞬間にハムストリングがプチっと言った感覚がありました。そして、そこから走れなくなってしまったのです。完全に肉離れを起こしてしまい、それでもなんとか走ろうと一週間治療院に通いました。どんな形でもいいから出場したかったのです。

アップぐらいはできるぐらいにまで奇跡的に調整できましたが、全力でダッシュすることなく迎えた当日。やはり4×100mリレーではうまく力を発揮することができませんでした。さらに、その後ほとんど足に力が入らなくなってしまったこともあり、最後のレースを棄権すると言う形で、高校の部活動生活を終えました。

「なんで怪我なんかしちゃったんだ」

と思うと、情けなく、悲しかったです。

「なんのために頑張ってきたんだ」

そんな風に考えると、これまでの練習してきたことが無駄だったんじゃないかとさえ思ってしまいました。そんなスッキリしない終わり方をしてしまったこともあり、今振り返ってもモヤモヤした高校生生活だったなぁと感じます。

「最後の大会をやりきって終わろう」

私自身はそんな気持ちで大会までの期間を過ごしていたわけですから、思ったような形では報われませんでした。きっと「思ったように報われない努力に意味はない」と考えていたのです。

そのように考えていたからこそ、目標にしていたことがなくなってしまうことは「その大会のために」とこれまで頑張ってきた練習を無意味に感じてしまっていました。なぜなら、その大会で結果を出すためだけを夢見ていたからです。

しかしどうでしょう。27歳になった今、あの時の頑張りに意味はなかったのかと今になって自分に尋ねると「そうでもないよ」と答えるのです。なぜなら、その後「このまま燃え尽きてヘラヘラと大学生活を過ごすのは嫌だ」と思ってアメフトに挑戦することになるからです。

この決断は「悔しさ」や「虚しさ」があったからこそできたと感じます。

さらに言えば、そこでも思ったようには活躍できなかったですが、そんな経験をしたからこそ、スポーツメンタルコーチとして選手のメンタルサポートをしています。今の自分にとっては、あの時感じた虚しさや悔しさにさえ意味があります。

これは、私自身が体験したことに対する、私にとっての意味です。ネガティブな経験だったことは確かですし、同じ経験をしたいとは思いませんが、確かに今の私自身をつくっている物語の大切な一部です。

今はひとりで抱え込まないで

このような話を持ち出したのは、決して「気持ちがわかる」「思いは同じ」ということを軽々しく言いたいわけではないことをご理解いただきたい。冒頭にも書いたように、想像することはできても、本当の意味でこの状況における目標を失った選手の皆さんの気持ちを理解できるのは同じ立場にいる人たちだけです。

それでもどうして自分自身の経験を書くかと言えば、今目標を失って悔しい思いや苦しい思いをしている選手の皆さんにも、「これから先の人生の中で2020年の4月に起きた出来事を思い出す時が必ず来る」ということを伝えたい。そう思ったからです。そしてその時には、良くも悪くもあなたの人生に大きな影響を与えた出来事として思い起こされるはずです。そして、そこにはこれまで頑張ってきた足跡が確実に残っています。

だからこそ、この困難にはどんな意味であれ、一人一人にとっての意味が必ずあります。もちろんすぐに見つけられなくても大丈夫です。無理をして見つけようとしなくても、これから先の時間を過ごしていく中でちょっとずつ見つかっていくはずです。

もし必要なら立ち止まったって構いません。大切なことは、今感じていることや自分の気持ちを受け止め、それを大事にすることだと、私は思います。そうすることで自然と、「これからどうしていこうかな」と考え始めることができます。次の目標が見つかるまでの準備期間と思ってください。

もし可能なら、同じ状況にいる人や話を聞いてくれる近くの大人に自分の素直な思いを吐き出してください。外に出してみることで自分の思いがはっきりすることもあります。今はネットで人とコミュニケーションをとることもできますから。どうかどうか、一人で抱え込んで溺れてしまわないように。

みんなで泳ぎ切りましょう。

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Hashimoto Yuro / スポーツメンタルコーチ
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