初めまして。 橋本勇郎(@hashimotoyuro)です。 私はスポーツメンタルコーチとして、スポーツ選手のメンタルサポートをしています。目の前のスポーツ選手を支えることを通じて、スポーツをする喜びにあふれた社会にしていきたいと思っています。また、スポーツ選手を支える人たちのためのオンラインコミュニティである、Spaceという場所を通して、選手と選手を支える人たちが、その喜びを共有できることをお手伝いしています。 スポーツメンタルコーチとして選手のサポートをしていると時
スポーツメンタルコーチ橋本(@hashimotoyuro)です。このnoteはスポーツメンタルコーチとして、さまざまな選手のサポートをする中で思考したことやメンタル観について書いています。 メンタルが強いという言葉が使われたりするけれども、「じゃあ、強いってどういうこと?」と改めて考えてみると、強い以外の言葉で表現しなければならなくなる。そうするだけで、目指すものの輪郭が見えてくることがあります。 例えば、 メンタルが強い=どんな状況でも動揺しない ということなら、動揺し
スポーツメンタルコーチ橋本です(@hashimotoyuro)。 メンタルって何ですか?と聞かれると非常に答えに困ってしまう今日この頃です。目には見えないものですし、一言では言い表しづらい。しかし、あえて言葉にするなら「人の内面にある仕組みやその作用」という感じになるのだと思っています(個人的見解です)。 例えば性格の中でも「社交的」というものがあります。これは人付き合いに積極的で上手な様子を表しますが、これはその人の中に「人付き合いができる仕組み」があると捉えることがで
スポーツメンタルコーチ橋本(@hashimotoyuro)です。 先日選手とのコーチングで新たに気がついたことがありました。 「失敗を伸び代と思えない」 とある球技をやっているこの選手。ナショナルチームに選出されるほどの実力を持っていながら非常に謙虚。笑顔が素敵な頑張り屋さんです。この選手とは1年近くコーチングをして来て、「失敗の受け止め方」について度々話をして来ました。 かなり良くなって来たと自分でも感じながら、今一歩このテーマに関して課題感を抱えていたようで、今回
スポーツメンタルコーチ橋本(@hashimotoyuro)です。 アメリカンフットボールの名門であるインディアナ州にあるノートルダム大学にはとある看板があります。ロッカールームからグラウンドへ向かう階段の踊り場に設置されており、選手たちはこの看板を必ず目にしてから練習や試合に臨みます。その看板にはこのような言葉が書かれています。 Play like a champion today.(今日、王者のようにプレーしろ。) シンプルで力強いメッセージ。これを見た時に選手たちは
こんにちは、橋本(@hashimotoyuro)です。 noteの企画に「#すごい選手がいるんです」というのが流れて来ました。 これについて、スポーツメンタルコーチとして書きたい選手がいます。それは、私がコーチしている・してきた選手の方々です。(なので名前の紹介などはできません…) こちらの企画の趣旨とはもしかすると外れてしまうのですが、ご容赦いただきたい。「書きたい」という思いだけで書いています。 さて、私がコーチしてきた選手の凄いところをあげてみたいと思います。
スポーツメンタルコーチ橋本です。 緊急事態宣言が出され自粛生活をする中で、UberEatsで食事を頼む機会が増えました。スマホでメニューから選ぶと20分もしないうちに自宅に届きます。なかなか外を出歩けない状態で、家に直接食事を届けてくれるというのは、本当にありがたい。配達員さんに心から感謝したいです。 しかし、便利なものにもいいことばかりではないですね。料金が通常よりも割高なこともあって、頼むものはどうしても元の値段が安いファストフードばかりになってしまいます。現役時代の
こんにちは。スポーツメンタルコーチ橋本(@hashimotoyuro)です。プロからアマチュア、学生まで様々な競技のアスリートのメンタルサポートをしています。またSpaceというオンラインサロンで運営事務をしながらコンテンツを作ったりもしています。 ------------------------------------------------------------------------ 指導者との関係を悩むアスリートが非常に多いです。その悩みの多くは、自分のプレーや
橋本勇郎(@hashimotoyuro)です。 ネガティブな感情というと、なんだか避けるべきものとして扱われることが多いです。私たちの感情を大きく二分すると「快」「不快」。不快な感情は避けようとするのが本能と考えると、仕方がないのかもしれません。 一方で自分の気持ちについて考える際に重要なことは、「快」「不快」を作り出しているのは、私たちの心や体であるということです。 例えば、怒られるのが怖くて新たなことにチャレンジできない。このような思考回路に陥ってしまうのは、怒られ
連日、学生スポーツの主要な大会が中止になってしまっています。 選手たちのことを考えると、正直なんといっていいのか。言葉が出ません。 当人たちにしかわからない気持ちを同じように感じることはきっと一生できないんだろうと思います。「わかる」などと気軽に口にしてはいけないと感じます。 それでも自分なりになんとか理解できないものかと、いろいろと先行研究を漁っていたりします。その中でも「喪失体験」「対象喪失」というキーワードが目に止まったものがありました。 対象喪失|心理学用語集
世の中の変化が著しく大きい。 これだけ世界規模な危機というのは未だかつてなく、きっと誰も経験したことがないでしょう。そんな中で色々な方が議論し、様々な意思決定がなされています。 スポーツ界も例外ではなく、高校総体や全中を含む、あらゆるイベントが中止になってしまっています。つい先日には、高校生という枠組みでは最大級といっても過言ではない「夏の甲子園」が中止検討されているというニュースを目にしました。 個人的な意見を述べるなら開催してあげてほしい。でも、世の中全体のことを考
私たちの脳は「ごきげん」な時ほど、想像力や集中力を発揮できることが科学的にもわかってきています。例えばゾーンと呼ばれるような超集中状態(フローといったりします)では、私たち人間は「多幸感」を感じるようにできています。 このような状態に入ったアスリートの話を聞くと「何も考えていなかった」「自分ではない感覚だった」と答えることがあるそうです。そういった状態を無になるという言葉で置き換える人もいます。 無になるというキーワードは重要ですが、これは捉え方を謝ると語弊を産むことがあ
コロナウイルスによって、様々なスポーツ活動が制限されています。東京オリンピックのように延期になってしまったならばまだ望みはあるかもしれません。先日、高校総体や全中の中止が発表され、若いアスリートの皆さんが活躍する機会が一つ減ってしまいました。 出場する予定だった当人達の悔しさや悲しみは、当人達だけにしか本当の意味で知ることはできないのと感じます。なぜなら2020年の高校総体、全中というのは一度しかやってこないからです。特に「高校最後」「中学最後」の節目になったであろう選手達
橋本(@hashimotoyuro)です 日々過ごしていると、いろいろなものに追われてしまいますよね。 スマホの通知が気になってしまったり、時間に追われてしまったり。時には募る不安や焦りから、自分で自分を追い込むことだってあります。 そんな風に過ごしていると、日常にある小さなことに喜んだり、本当はありがたいことのはずなのに、なんだか当たり前のように感じてしまうようになってしまいます。 心の感覚が鈍くなってしまうのです。 このように、何か自分以外のもののせいで動かされ
橋本(@hashimotoyuro)です。 緊急事態宣言が発令されました。多くの専門家の方々が連日話し合いを進めていく中での決定。日本の社会全体でコロナウイルスを乗り越えていく構えが取れるといいなと、そんな風に思っています。 こんな状況の中で私は本当に恵まれているなと改めてありがたく思います。私自身テレワークが可能なので、なるべく外に出ない・人に会わないということに励んでいます。感染のリスクを背負いながら、働いている方々に心から敬意と感謝を申し上げます。 家の中で過ごす
中学3年生最後の試合を機に、私は大好きだったはずのサッカーを辞めてしまいました。 原因として思い当たるのは、副キャプテンという立場にかかわらずチームの中で孤立してしまった経験が大きかったと思います。思春期だった当時の自分にとっては結構きつかった覚えがあります。 今から考えてもこの決断は失敗だったなと思うのです。正直今でも、サッカーをしている夢を見たりします。もし続けていれば…。なんて思ったりします。 しかし、決して誰かを恨んでいるとかそういうことを言いたいわけではありま