「YAMACHIKU」を世界共通言語へ
こんにちは。
熊本県南関町で60年間「竹の、箸だけ」を作り続けいている株式会社ヤマチクの3代目、山﨑彰悟です。
私はアトツギとして、10年前にこのヤマチクに入社しました。
当時24歳。
「自分の実力を世界相手に試してみたい」
「世界一の箸メーカーを目指したい」
そんな夢と功名心を持って入社したものの、すぐに厳しい現実を突きつけられました。
目標は「潰さないこと」
当時のヤマチクはOEM100%の完全下請け箸メーカー。
経営課題もあげればキリがないほどありました。
生産管理という概念がなく、阿吽の呼吸と気合でなんとかしていた製造現場
世界でここにしかない技術ばかりなのに、その価値に気づけない環境
薄利多売どころか全く利益が出ていないOEM商品
竹を切る職人の減少と高齢化
まずは「会社を潰さない」こと。
明日の経営を脅かす課題が山積する状況で、壮大な自分の夢を語ったら絶対に会社を潰してしまう。
そう考えた私は目の前の課題に集中すべく、「世界への夢」にそっと胸の奥に封印しました。
綱渡りの10年間
あれから10年。ヤマチクは大きく変わりました。
将来を見据えた逆算的な戦略があったわけではありません。
「今を生き残るために何をすべきか」
いわば緊急対処の連続です。
8年前、南関町で外国人労働実習生ブームだった時に高校新卒採用を始めました。
当初は「誰が来るんだ」と呆れられましたが、今では従業員の4割が10~30代。担い手の高齢化が叫ばれる工芸業界で、着実に技術継承が行われています。
2017年に佐藤かつあきさんと出会い、めちゃくちゃ格好いい会社案内とコンセプトムービーが完成しました。
これまで自分たちが「当たり前」に行っていた仕事に、社員さん達が価値と自信を見出すきっかけになりました。
この時に生まれた「竹の、箸だけ。」というコピーは、ヤマチクの代名詞に。
OEM事業に限界を感じ、2019年には自社ブランドokaeriを発表。
社員達と一緒に2年かけて作ったお箸を、展示会でいろんな人に手に取っていただけた時は本当に嬉しかったです。
さらにはこのokaeriがNY ADCやPentawards、TOP AWARDS ASISといった国際的なデザイン賞を受賞し、多くのメディアから取材いただきました。
それが地元の人に「ヤマチク」という会社を知ってもらうきっかけになり、「南関町の自慢」とおっしゃってくださる方も出てきました。
決して順風満帆だったわけではありません。
2020年、これから自社ブランドを伸ばしていくぞと意気込んでいた矢先にコロナ禍が始まりました。当時売上の主力だったOEM商品の注文が完全にストップ。
あの時はさすがに「廃業」も覚悟しました。
それを社員や材料屋さん、竹の切り子さん悟られぬよう、「仕事が暇なら何か面白いことをやろう!」と苦し紛れに始めたのが「ヤマチクデザインコンテスト」です。笑
そのコンテストを通して多くのヒット商品が生まれ、オンラインストアの売上が15倍に拡大。なんとか生き延びました。
ピンチはさらに続きます。
当時売上の25%を依存していたOEM商品が製造中止。
この時は精神がおかしくなりそうなぐらい追い込まれました。
でもこの窮地を救ってくれたのは、ICC FUKUOKA2022 でのプレゼンでした。
このプレゼンをご覧になって共感いただいた皆様が、ノベルティのご発注や商品お取り扱いのお声がけをしてくれました。おかげて失った売上の補填をなんとか行うことができました。
振り返って思うのは、つくづく運がいいなぁと。
もしokaeriのリリースが半年でも遅かったら・・。
もしICCの登壇機会を逃していたら・・・。
考えただけでゾッとします。
何が1つでも判断を誤れば即ゲームオーバー、そんな綱渡りな10年間でした。
「無理なこと」が当たり前になった今
5年前までOEM100%の完全下請け箸メーカーだったヤマチク。
今では自社ブランドの売上が全体の65%になりました。
作り手が適正利益がちゃんと確保できるビジネスに、変容しつつあります。
こちらから営業活動を行わずとも、小売店様や飲食店様、ノベルティをご検討の大企業様や海外のバイヤー様まで、絶え間なく数多くのお問い合わせをいただけるようになりました。中には、僕の敬愛する世界的ブランドも多数。
最も懸念していた竹を切る職人「切り子」さんの担い手不足。
自社ブランドの比率が上がるとともに竹の買取価格を段階的に上げた結果、今では30代の切り子さん達が定着しています。
一度は途切れそうになっていた、人と竹を繋ぐ持続可能な営み。
少しずつ未来に繋がりつつあります。
そして2023年11月11日。
念願のファクトリーショップ「拝啓」がオープン。
毎月1,000人以上のお客様が訪れ、売上も目標200万円台をキープしています。
課題だった直販比率(ECも含む)も、月次売上の17%に向上しました。
この10年の取り組みは全て「無理だ」と言われました。
「自社ブランドなんてやったことないから無理だ」
「切り子なる若者なんていない」
「こんな田舎に店作ったって人が来るわけない」
難しいのは百も承知だが、今すぐやらないと廃業してしまう。
その危機感で突き進んできた10年。
かつて「無理だ!」と言われていたことは、今ではヤマチクの当たり前になりました。
もちろんビジネスに「絶対安全」はないのですが、かつての「綱渡り」は一旦卒業。ようやく私が「本当にやりたいこと」に着手できます。
「世界一への夢」は妄想から確信へ
家業に戻った10年前、「世界一」への勝機はほんのり感じていました。
理由は3つあります。
1つ目の理由は箸市場の大きさ。
世界人口の30%は日々の食事にお箸を使う「箸食文化」
アジア圏を中心に、世界に24億人というとてつもない市場規模です。
国内市場は安価な輸入品も含め飽和状態と言われていましたが、世界に目を向けてればまだまだ広がりがあると感じました。
2つ目の理由は、お箸の世界的認知度の高さ。
チャイニーズフードや和食などの広がりによって、箸食文化圏以外の以外の人でもお箸を使う機会があります。
お箸を見て「これ何に使うの?」と聞いてくる人はほぼいらっしゃいません。
海外で「用途の説明がいらない」商品は、かなり有利です。
3つ目の理由は、竹への関心の高さ。
生長が早い竹。筍からたった3ヶ月で10数メートルを超える竹になります。
日本では「放置竹林」や「竹害」といった地方都市の社会課題の代表格たる竹。
しかし当時世界的には「持続可能な資源」として認知されはじめていました。
加えて「禅フィロソフィー」がシリコンバレーの起業家達に注目された時に、それに付随して日本の竹文化は憧れの対象になりました。
竹を生活に取り入れる際、最も取り入れやすい道具が「お箸」です。
以上3つの理由を踏まえると、ヤマチクは絶対に世界と勝負できる。
24歳の私は大真面目でしたが、当時は何の根拠もない絵空事。
「どうやって?」と聞かれても「気合いで!」ぐらいしか答えを持ち合わせていませんでした。
でも今は違います。
海外のデザイン賞を授賞した自社ブランドもあるし、有名レストランへの導入実績もたくさんある。
コロナ禍でヤマチクのお箸は輸出が少しずつはじまり、既に14カ国に輸出ルートを持っています。
さらには世界中のお客様を迎え入れる「拝啓」というお店もある。
夢を実現する適切な手段をこの10年間で着実に手にしてきました。
そう、「時はきた」のです。
YAMACHIKUを世界中の辞書に載せる
お箸は英語で"Chopsticks"
ヤマチクのお箸も輸出する時は"Bamboo Chopsticks"と訳されます。
でも私はこの"Chopsticks"という言葉がたまらなく嫌いです。
直訳すると「叩き割った棒」
ヤマチクのお箸が完成するまでに30工程上かかります。
「そんな雑な言葉で片付けやがって、舐めんな!」とずっと思っています。
いろいろ語源を調べてみると、もっと間の抜けた由来でした。
お箸の機能性や文化的背景、そして精神性とはるかに乖離した名前。
特に日本のお箸文化は、禅や自然崇拝といった精神文化と密接に関わり独自の進化を遂げてきました。
「残さず、綺麗にいただく」
そのために最も適した道具として、軽くて箸先の繊細な竹のお箸が「日本のお箸の原点」として生まれ、文化として根付いてきました。
そんな竹のお箸を今も作り続けているヤマチクには、正しいお箸文化を世界に発信する社会的責任があります。
「日本人の食への精神性や正しい箸文化を体現したイケてるお箸」
それを表現する固有名詞として、「YAMACHIKU」を世界共通言語にする。
これが今の私の夢です。
海外でバイクのことを"HONDA"、醤油のことを"Kikkoman"のように、
お箸のことを"YAMACHIKU"という世界線を10年以内に創ります。
それを実現するプランは既に頭の中に。
まず最初に攻略するのは「シンガポール」
国土は小さく人口は少ないけどけど、金融・海運・ITで発展したアジアを代表する経済大国。そしてアジアと中東をつなぐ「ハブ」となる国。
「なぜシンガポールなのか?」という理由はいくつかあります。
でも1番の理由は「新婚旅行で行った思い出の地」だからです。
7年前、煌びやかな街並みを見ながら、妻にこう話しました。
「いつかこの国に、勝負を挑んでみたい。自分の実力を世界で試したい。」
時間はかかってしまいましたが、今ようやくその時が来ました。
これから、ヤマチクの世界戦略がはじまります。
ぜひ皆様お楽しみに。
そしてもし、このnoteを読んで私と同じように「ヤマチクで世界と闘ってみたい!」と思う人がいれば、ぜひ私にDMください。