「生きてるうちに推してくれ」(丹羽庭 著) 特撮オタクの傑作を描いた作者、何故アイドルはこうなってしまったのか(hasegawonderの月刊漫画2024年1月号)
へい新年1発目のnoteだ、と言いつつもう2月か。去年は途中から漫画まとめnoteを書くことすらままならぬ状態(仕事がちょっと忙しくなっただけで特に何があったワケでもない‼︎)。しかもその1発目が微妙にディスっぽいのもなんか申し訳ないんだけれども、どうしても言いたいことが止まらないんだからしょうがないでしょ。というワケで今回のテーマは丹羽庭先生の「生きてるうちに推してくれ」。
しかしさぁ、特撮オタクの解像度が高くて隠れオタクの気持ちがわかってて、それでいてその辺とてもコミカルにできた傑作「トクサツガガガ」の作者の次作がなんでこうなった……まぁ過去漫画まとめnoteでもちょいちょい話題に出していた「生きてるうちに推してくれ」ですよ、全4巻と相成ってしまった……まぁ内容を見るに打ち切りだと思うんだけど。
ずっとうっすら「これはどうなんだ?」ということは言ってたつもりで。特に1. 2巻は「アイドルに対する解像度が低くないか?」ってとこがとにかく引っかかっちゃってなぁ……
何にせよ、作者の丹羽庭先生はOLが隠れ特撮オタクであるという見事なギャグ漫画の大大大傑作「トクサツガガガ」の作者である。あの漫画はホント素晴らしく、俺の中のスピリッツ連載作品のトップ3、なんなら1位でも良いんじゃないかと思う作品だったんだよね(あとは「美味しんぼ」と「ラストイニング」)。そんな名作を描いた方が、キレイに次作でコケるというのは大変に悲しかったワケだ。まぁ余計なお世話だろうし、描く作品すべて凄いって作家さんもそうそういないしな。
ただねぇ、最終4巻まで読んでみると案外最後の方は悪くない。もしかすると、もう少し続いていれば俺の見えてなかった全貌というか丹羽先生が意図した部分が読めたかもしれないなぁとも思った。3巻までのわけわからん坊主、ホスト従兄弟、心霊どもの動きも一応「伏線回収」されたしね(あくまで一応だけど)。
なのでここで俺が話したいのは、「こういう展開があったんじゃないか?」という考察ではなく「こうしたらもっと連載がいい感じになったんじゃないか?」という問題提起である。こういうとこう思う人もいるだろう。
「えっ? 終わった漫画の、しかもお前が勝手に打ち切りと思ってるだけでちゃんと面白いしなんの意味が?」
的なね。わかるよ、そりゃ。俺だって子供じゃないんだ、俺が何かを言うことなんて意味はない……が‼︎
俺が言いたいんだよ、こうすりゃ良かったってよぉ‼︎
言わせてくれよこうすりゃ良かったじゃんてさ‼︎ たらればを言わせてくれよぉ今の世の中、いかにクリティカルな正論を言うかそれっぽい屁理屈を捏ねるかしかないSNSにうんざりしてんだよこっちゃよぉー、俺の独断と偏見に塗れたクソみたいな意見を吐き出させてくれよ、これは衝動なんだから‼︎(何のこっちゃ)
という訳で、今回「生きてるうちに推してくれ」はこうだったら俺は納得できたんじゃないか回です。ネタバレもガンガンするので、気にする方はこちらで引き返して下さいますようお願いしますねぇー。
アイドルの解像度低すぎ問題
一話から数ページ抜粋させて貰いさらに雑にあらすじを立てさせて貰うけども、「家出してアイドルになったが、霊が見えるためにファンサとか上手くできなくて貧乏」ってのが主人公ミサキの悩みで、このあと「霊の見えない坊主」と組んで除霊ユニットになることによって起きるドタバタコメディ、という作品となる。
この中でも色々気になるところはあるんだが、初っ端俺が気になったのはアイドル設定なんだよな。地下とは言え、上京して簡単にアイドルになれてしまったのはどうだろう。まぁここもある意味4巻ではかなり強引な伏線にはなってたんだけどね……
地下アイドルが実際街でスカウトされるってことはまぁなくもないんだろうが、俺が気になったのはミサキがアイドルをやる「動機」なんだよ。それこそこの一話で坊主に除霊は金になる、アイドルなんか金になるんか的なことを言われた時にこう啖呵を切る。
でね、実際ミサキがこの啖呵を切るほどにアイドルに思い入れがあるシーンがまったく出てこないワケ。仲間があるからとはいうけどぶっちゃけそんなに仲良さそうな感じでもないし、グループとしての結束の弱さも描かれている。最後の方ではメンバーのルリとの諸々こそあるものの、この時点ではそこまでアイドルにこだわる理由が見えない。
で、これに関しては明確に答えがある。丹羽先生が後書き漫画でどこまで本気かは分からんが「坊主の相棒ならホストかアイドル」という旨があった。
なるほど、アイドルは何となく決めてしまったと。まぁそれを論うつもりはない、そんなこともあるだろうよ。
ここはさ、ミサキがアイドルをやる動機にするべく「過去に好きだったアイドルがいた(いる)」にするべきじゃない? 同じメンバーであるルリだけ尊敬してアイドルを続けるのは、多分余程ルリがアイドルとしての才能があるという描写がないと無理な気がする。
これはミサキだけじゃなくてフレンドシップのメンバー全員に言えるんだけど、5人いて1人もアイドルに憧れてアイドルを目指したってメンバーが0なのは明らかに不自然だと思うんだよなぁ。まぁもちろんちやほやされたいとか、手っ取り早くお金を稼ぎたいとかでもいいんだけど、地下アイドルなんてそうそう簡単には行かないんだから絶対目標が必要だと思うんだよ。
「あの人みたいになりたい‼︎」「あの人の横に立ちたい‼︎」
みたいな思いでやってるメンバーがいないとむしろ不自然じゃないかね。それこそ特撮オタクの苦悩を描き切った丹羽先生が、なぜメンバーの中に1人くらいドルオタを放り込まなかったのか謎でしょ‼︎ ドルオタが高じてアイドルになっちゃった、みたいなメンバーがアイドルとしての理想に届かないとか、他のグループと比べてできないとか葛藤を抱えながらも(若干ミツノがその感じを出してるけど、なんか違った)上を目指すことによって他のメンバーとの意識の違いだとか、むしろアイドル知らないメンバーができちゃうとかそういう幅が出た気がするんですけどぉ⁉︎
少なくともその役割をミサキが担っていれば、もっと違う気がするんだがなぁ。
ぶっちゃけフレンドシップの運営も和田っち1人で、儲かってる感じもしないでなんでやってるのかがイマイチ不明なんだよな。この人が何のためにフレンドシップの運営をしてるのか、全然謎だったままだからなぁ。それこそルリの才能を見込んでアイドルグループを、ってわけでもなさそうだしねぇ……もっとルリの才能に惚れ込んだから言うこと聞いてたって風にした方が、何かと分かりやすかったような気がする。ルリをもっと凄いアイドルとして描けば良かったのに。元々ルリのワンマングループ的な始まりだったんだし、そこをもっと強調してやった方が何かと分かりやすかったような。ある意味ではラスボスだったんだし。
しかしあれだけ特撮オタクのアレコレを描けたんだから、もうちょいアイドルオタクの視点から見たフレンドシップとはどういうグループだったのかみたいな話をもっと盛り込むとかよかった気がするんだよなぁ。そもそも曲がいいグループなのか、ルリとミツノはいいけど他が危ういバランスだけど大丈夫かとか、むしろそれがいいと言うオタクを出すとか、そういうオタクの目からグループの立ち位置がわかる情報がなさすぎて乗れないところがあった。
少なくとも小さめのライブハウスを半分くらい埋めて盛り上がってるなら、そこそこ見所があるグループなハズで、その中で絶望的にミサキだけ人気がない理由として挙動不審なだけなのはむしろ説得力がない。そういうメンバーが好きな逆張りオタクも、何人か出てきそうだしね。
と書いてきたように、多分アイドルにそこまで軸を置きたいワケじゃなかったんだろうな……ホラーで行きたかったような話は上記のオマケ漫画の通りか。
坊主何だったんだ問題
はい、そしてネットで評判見てると良くも悪くもこいつがキーマンになっている坊主。まぁ結構こいつ嫌いな人多いね‼︎ 実際俺も好きかと言われると……うーん。
結局最後まで読んだところ、もちろん全体的なページ数の問題なんだろうけど「目的がない」というのは……なんなんだコイツ。単に性格の悪い煽り散らかし坊主、好きになれるワケがないという‼︎
このタイプは前作にもいなかったよなぁ、編集の人に読切でこのキャラが褒められて登場ってことらしいが、あんま効果的ではなかったような。
終始ミサキ相手に売れてないアイドルを、馬鹿にするような態度を最終回までとり続けてたのもまた印象が良くなかった。せめてコイツこそメジャーなアイドルが好きで、それに比べてミサキは何なんだみたいなことを言ってくる的な設定があっても良かったんじゃないか。霊が見えないこと以外弱点もなく、ただただ売れないアイドルを下に見てくる坊主には好感は持てないよなぁ……だったらまだドルオタである、という設定とかあった方がフレンドシップの世間的な立場説明にも良かったんじゃなかろうか?
アイドル的な努力ゼロのミサキによる小ボケがまったく効果的ではない問題
丹羽先生はかなりボケの手数が多い人で、それが「トクサツガガガ」好きにはかなり有効的であったことを否定する人はそうはいまい。あの主人公中村さんの自虐含みの小ボケは「オタクだとバレたら白い目で見られるかもしれないが、自分は楽しくやっているのだ‼︎」という自己肯定感の裏返しでもあるからだ(決めつけ)。
しかしこの「生き推し」ではこの自虐含みの小ボケはまぁー、悲しいくらい合っていない。
ミサキは家出してきてアイドルになってるから、悲壮感が大きすぎる割に「アイドル的な努力はあまりしてない」ので、可哀想な境遇の割にこっちも気持ちが乗らない。
例えば2巻のこの自虐には自己肯定感がなく、ただ悲壮感が漂うところに坊主の身も蓋もないツッコミが入ると正直笑いにはならんよなぁ……しかもミサキ自身もアイドル的な向き合い方をするわけでもない。歌の練習をするとかダンスの練習をする的な描写は皆無だし、なんなら「霊の見えるアイドル」という売り出しも拒否する。過去のトラウマがあるにしろ(そこも救いがなく、重い)、何かしらアイドルらしい行動を起こしてないのに自虐されましてもねぇと思ってしまうな。
そこは霊を通しての自己解決パートを、「こんな私でもアイドルをやってていいんだ」にしてしまってるのがまた致命的だなと。特に3巻の、ルーティン霊後の結論とか。
ここはこの後裏があったにしろ、「厳しいだけじゃしょうがないから緩くできるとこはそうしよう」的な話になるんだけど、なんか納得行かないよ。何故メンバーで努力の形跡を見せず、グループに貢献してない奴がこんなこと言えるんだと思ってしまうよなー。
余談ですが私は元AKB48の高橋みなみさんのファンというわけではないけど、彼女がAKB総選挙の時の「努力は必ず報われると、私、高橋みなみは人生をもって証明します」という言葉を揶揄するのを見るとちょっとモヤッとするんですわ。あれは前後の文脈を見てない人が単に「努力は必ず報われる」だけ言ったことにしちゃってるんで、そういうことじゃないんですわって思うのよね。よく彼女の発言を聞けば「努力は無駄になるかもしれないが、無限の可能性がある以上怠るわけにはいかない、なのでそれを私が人生を持って証明する」という、後輩たちに対する啓蒙かつ自分にプレッシャーをかける意味もあるとても勇気が必要な言葉だと思ったのよ。
現実にそんな気合いの入ったアイドルを見てたりするので、霊から受けた影響が「今のままでええんやで」になるのは、フツーにマイナスだと思う。むしろここのエピソードで言うなら、「私は緊張してミスをしやすいから、こういうルーティンを普段から取り入れて緊張しないようにする」的な話にした方が良かったんじゃないかしらん。
最後の方は案外悪くなかったけだけに
霊に取り憑かれて闇落ちしたルリを救う、的な展開は展開にヒネリも効いてて、案外悪くなかった。彼女の肥大した自意識と、1番人気のメンバーに立ち向かい救うミサキは主人公になったな感はあった。トクサツでもそうだったように、真面目な展開もちゃんと描ける人ではあるんだよね。それだけに今回ら小ボケがうわ滑ってる悲しさもあるんだけども……
でもここは面白かった。むしろ3巻まで読んで「大丈夫かこの漫画……」と思って4巻と聞いて「打ち切りか……」となった割には最後はそこそこいい感じだった。なのでそこまでをもっと丁寧に行って欲しかったけども、そこはページ数が足らなかったんだろう。
結論
てなワケで色々書いてきたんだけど、もうこの漫画自体は終わってしまってるんでどうにもならんよねぇ。だから、まぁ万に一つもそんなことはないと思うけどもしこれを丹羽先生や編集の方の目に入ることがあるとしたら、俺が言いたいのはただ一つ。
「丹羽先生に、アイドルオタク漫画を描いてもらえませんか?」
ということですな……
丹羽先生はアイドルの追っかけの話なんかはトクサツの方でも若干やってたじゃない、それは男性アイドルグループの弁えたファンを描いてたけど、せっかく取材で「夢見るアドレセンス」に対する知見も得られてるようですし、例えばドルオタ女主人公のコメディなんか向いてそうじゃない?
なんせ特撮オタクを正面から描いてあれだけの傑作を産んだ方ですよ、ドルオタだって通ずるモノは多いハズだ(面倒くさいかもだけど‼︎)‼︎
わたしゃラッパーのライムスター宇多丸さんがラジオでかつてよく話題にしていた「モーニング娘。」に狂ってた時期(自分も周りの友達も)の話がとても面白くて好きなんだけど、ああいうのを漫画にできたら面白そうなんだよなと思ってて、丹羽先生のセンスは正面からアイドルを描くより明らか狂ったオタクを「見下げず」(ココ大事‼︎)描くことができるんじゃないかと思うんだよな、オタクである自虐とリスペクトがあるからね。
それはきっと、めちゃくちゃ面白くなるんじゃないかなー……と、思わずにはいられないんですわ‼︎ どうですか小学館スピリッツ、もう一回丹羽先生にこの方向で一回やってみてもいいんじゃないですか⁉︎
「ハマれるものがある人生は、肩身は狭いが楽しい」漫画を描き切った丹羽先生ならドルオタ漫画、行けると思うんだけどなー。