御前レファレンス。(6-2)
第壱回『雲云なす意図。』
#6 -2:黴雨と停滞。2
†
「……なにそれ、もうホラーじゃん」
学食でのことを聞いたヒバナが第一声、言った。
「ホラーではないよ、現実の話。大学の学食で僕が体験した実際のリアルガチのやつ」
「ホラーもリアルなヤツはガチでしょ」
「え? あー、怪奇現象とか怪異って意味のホラー? なんだ、映画の話かと。でも下手なホラー映画よりはホラーだったかも、ね」
呑気に聞こえるかもしれないが、クロスでコーヒーカップを磨く僕の手は軽く震えてるのだった。
事実は小説よりも奇なりを体験した気分だった。
「そのあと、」
「いや、まだあるの怪談のつづき」
もういいって、とヒバナが小蝿でも追っ払うような手振りをする。
「それが、聞いてよ。せっかくだから」
なにがせっかくだからなのか、自分でも分からないけど、聞いてほしい。
「そのあとでさ、㐂嵜さんと平埜さんがいっしょにいるのを大学で見て、」
「うわっ、見ちゃった? 見ちゃったのね、ミサキったら。なんか不倫現場に出くわした家政婦の気持ちになってきた」
ヒバナが分かるような分からないたとえをする。
「平埜さんは僕が出逢ったあのおとなしくて人見知りな引っこみ思案な平埜さんに戻ってた」
「なるほど、そういうヤツ!」
どういうやつなのでしょうか。
「まあ、相手に合わせすぎたり、相手の望む自分を演じてる人間って、一定数いるよね」
コーヒーを飲み干し、ヒバナがカップをソーサーに置いた。
「平埜さんは、最初からってよりゼミ生の話を聞く限り、」
「盗み聞きしたヤツね」
「聞こえが悪いけど、言い訳はしないです、はい。それで、短期間で人が変わってたんだけど」
「まあ、それも、短期間でひとが変わるのは、なくはないけど」
「僕もそう思う。僕も家族から電話だけど、こっちにきてから『明るくなったね』って言われるくらいだもん」
上京して三ヶ月ほど。
日数にすれば約九十日。
たったそれだけでも僕という人間に変化が起こった。
平埜さんに起こった変化は、これよりもずっと短い期間のことだ。
最初からあった二面性なのかもしれないが。
「今回は、見えざる〝糸〟のせいだと」
ヒバナが言う。
長々前置きをしてきたが、ヒバナとやりとりするのも、反証であり検証みたいな役割もあった。
「うん。なにより、決定的だったのは、」
学食の一件からも何度と平埜さんと㐂嵜さんをべつべつに目撃した。
ふたりでいるところも目にした。
いつも変わらぬふたりであった。
「と言いたいところなんだけど、きょうのやつ」
時間割の妙か、ここ二日ほどふたりを大学で目撃しなかった。
探そうと思えば探せただろうが、ストーカーみたいで、ふたりのいろいろな面を見たせいもあって、気乗りがしなかった。
正直、『経過観察』を僕から言い出したのに怠慢だったと思う。
そのせいか、そのせいではないか、きょう、三日ぶりにふたりの姿を見つけた。
「なんか、違ってた」
「なにが?」
ヒバナが結露で濡れまくったお冷のグラスを指でなぞりながら訊く。
「ふたりの印象が違ってた」
「ん? 友人のひとだけじゃなく? ふたりとも」
「うん。前から平埜さんは㐂嵜さんといるときには、多少やわらかくなって明るい雰囲気もあったんだけど。ゼミのときみたいなアッパーなひとになってて。㐂嵜さんといっしょでも」
「あれ? 二面性的な使い分けはどした?」
「僕もそう思った。常時アッパーな雰囲気のギャルっぽくなってて」
「マジで。ちょっと見てみたいかも。見れないけど、ね!」
「……うん……」
「あ、ちょっとミサキ。黙んないでよ」
「……うん……」
「『……うん……』じゃなくて、相談の依頼主もなんでしょ、印象が違ってたの」
「そう。㐂嵜さんてすっごい明るいって感じじゃなかったけど、べつに暗いひとでもなかったのに、なんか、ダウナーなひとになってて」
「あっちがアッパーでこっちがダウナー。バランスは取れてるけど?」
「一週間やそこらで性格入れかわるみたいなこと起こる? これってどう考えても〝糸〟が関わってるんじゃ?」
しかも、
「相談依頼主のキサキサヤカのほうにも『影響』が出てきた。ってゆうね」
ヒバナは言った。
「ヒバナが気にしないでいいっていったのは、もしかして――こうなるかもしれないから?」
僕が訊ねる。と、
「まあね。友人のひとの〝糸〟が、相談主にだけ見えてるってのも妙な話でしょ。ま、あたしは除くとして」
「たがいに影響しあってるってことか」
僕が言うと、
「彼女たちそもそもそういう〝関係〟だったんでしょ。それが〝糸〟というカタチで具体的ななにかになって現れた」
具体的ななにか。
それは――〝糸〟の正体だ。
もとより。
僕のところへレファレンスの相談があった時点で、
ヒバナに〝視える〟時点で、
――そういうことだったのである。
「どうする?」
「どうもこうも、決めるのは、あたしじゃないでしょ」
「そっか、僕か」
レファレンスの相談の依頼を受けたのは、担当の僕。
ミサキである。
ヒバナ自身は、あくまでもお手伝い、または助手というスタンス。
でも、僕個人としては、不可思議なレファレンスは、僕とヒバナのふたり。
僕らふたりで、
「㐂嵜さんの望むように、ううん、㐂嵜さんと平埜さん、ふたりが『解答』にたどり着けるような――僕らなりの『回答』を」
ふたりに届ける。
不可思議なレファンレスでは相談の依頼者に『解答』をしない。
僕らが提示するのは、レファレンスに相談してきた依頼者が『解答』にいたるための『回答』だ。
そのための、この一週間。
ただただストーキングいや、眺めて見守っていただけの『経過観察』ではない。
「一度、㐂嵜さんに連絡してみるよ。状況確認してから、つぎのステップに――」
――と、僕が言いかけた。
そのときだった。
「もしかして、あれって。ウワサをすればなんとやら。じゃない?」
ヒバナがお冷の結露を指先で弄びながら、悪戯っぽく頬笑んだ。
僕は気づけなかったが、ヒバナはその――足音にいちはやく気づいていたのだ。
「え?」
僕はヒバナが指で弾いたグラスの結露の水玉が飛んでいったほう――店の入り口に目を向けた。
そこに、
「き、㐂嵜さん?」
今回のレファレンスの依頼者で、いまさっき話題に上がっていた人物――㐂嵜沙香さんが店内に入ってくるところだった。
しかも。
漫画の効果音みたくズカズカと足音が聞こえてきそうなイキオイと剣幕で、だ。
僕が大学で見かけたときの、感情が入り乱れすぎた『無』の表情でもなく。
ただただ分かりやすい――
「アンタぁぁぁっ! やっぱり、あのとき! あのコに――藍那になにかしたんだろぉぉぉッッッ!!」
『怒』の感情を引っ提げた㐂嵜さんの怒声が、誰もいない店内に鳴り響いた。
㐂嵜さんは、傘もささずにここまでやってきたのか、頭から爪先まで滝に打たれたようにぐっしょりと濡れていた。
が、そんなことまるで気せず、僕と、主にヒバナをニラミつけている。
「てか、話違くない? ぜんぜんダウナーじゃないし」
言いながら、ヒバナが何故かたのしそうに笑ってた。
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